天壌無窮の皇運を扶翼すべし

FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。

12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは
「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」
ここでしょう?

ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。
正面突破しようか。
この一文の前にある
「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて

「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」
と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。

「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。
「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。

「以て」それにより
「天壌無窮の」天地に永遠に続く
「皇運を」後に回す
「扶翼すべし」助けなさい。

ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。
皇=天皇陛下と捉えれば
皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。

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よく考えてみてくれ
この教育勅語は
「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に
徳をたつること深厚なり」

皇祖:天照大神
皇宗:神武天皇以降歴代の天皇
は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。

つまり「国」を語るところから始まっている。
そして以下のように続く

我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは
これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす

日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。

となる。

その後12の徳目が列挙されるわけだが、
なぜ国家を語るところから始まって
一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。
全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。

この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。

よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく
国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、
義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、
これをもって
天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき)
皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。

となる。
陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。
公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。

6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。

もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。

昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。

話がずれた。
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皇運=日本国の運命

を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。

仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。
日本独自の伝統~仁徳天皇
詳しい内容は上記リンクに譲る。

臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し

臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい
臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる

と答えられた仁徳天皇。
そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、
陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。

という話。

この話が事実かどうかは些末な問題だ。
それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。

日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。

陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。
この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。
この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。

時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。
それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。
同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。
そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。

また話がそれた。

天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。
国民に知ってほしい陛下の祈り
詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。
また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。

国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。
大東亜戦争開戦前の御前会議
上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。
及川海相が「重点は外交にある」と答えました。
すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。
 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。
昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。


そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。

陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。
だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。
これを君民一体という。

これが理解出来れば、
皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。
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最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。

この道は(略):即ち12の徳目
古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで
中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。

「朕汝臣民と共に拳々服膺して
みなその徳を一にせんことをこいねがう」

私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。

教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。

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