ロシアが守ってくれる?

先日の伊勢新聞に載っていた共同通信社の提供した記事だ。

まずトランスニストリア(沿ドニエストルのルーマニア語の呼称)の問題を語る時に常に直面する誤解がある。


1. トランスニストリアの問題は民族問題を装った占領である

人種別人口比率

そもそもトランスニストリアのロシア人は全体の1/4出しかない。
ルーマニア系は36.5%と最も多く、次いで周りを取り囲むウクライナ系。これが30.4%。ロシア人は25.5%だ。

モルドバがルーマニアから割譲されてソヴィエトに併合されたときにはルーマニア系はおよそ50%だったのに対し、ロシア人は11%しかいなかった。
首都と称するティラスポールは併合後にソヴィエトが人口的に作った街であり、ロシア人を移住させて作った関係で一番ロシア人の人口が多い。41%がロシア人で15%がルーマニア系。

トランスニストリアに住んでいるのはロシア人だけでは無く、またロシア人が圧倒的な多数なわけでも無い。

因みにスターリンはモルドバでも併合直後に移住政策をとっている。2度にわたって同地域に飢饉をおこさせ、知識人と資産家をシベリアに強制移住させルーマニア系人民の数を極端に減らした後、ロシア人を移住させている。

モルドバ共和国がソヴィエト連邦の崩壊を機に独立を宣言したおりに、全体のたった1/4にすぎないロシア系の住民が、更に川向こうのトランスニストリア地域を独立させることが出来たのは分離独立へとたくみに導いた存在がいたからだ。
トランスニストリアの自称初代大統領のIgor Smirnovである。

この男はトランスニストリアとは縁もゆかりも無い。カムチャツカに生まれの軍人で、共産党青年組織Komsomolに所属していた。モルドバの独立宣言から遡ること4年の1987年にトランスニストリアにある建設機械の会社(もちろん国営)のディレクターに就任している。

私はこの男が当時のソヴィエトが連邦分裂の兆しを察知し、反ロシア政策に転向しそうな、非スラブ系民族国家、国境付近の国家にソヴィエト政府によって送り込まれた人間の一人だと思っている。もちろん分離しそうな国にくさびを打ち込むためにだ。

その後部下を集め民族問題を理由にロシア系を中心とする運動を展開。ティラスポールでの政治的権限を獲得すると分離独立を一方的に宣言し、その後20年にわたってトランスニストリアの独裁者として君臨する。

80年代よりロシア軍は14師団をトランスニストリアに駐留させ本部をティラスポールに設置した。この部隊が実質ルーマニア・モルドバ連合軍と戦闘をする。

以降武力衝突はないものの、ロシアの思惑とSmirnov戦略は成功した。
紛争終結後のモルドバはルーマニアとの再統合を断念し、今に至るまでEUに統合することも出来ないでいる。
国内に紛争地域が存在することは、EUがルーマニア編入時にモルドバの編入を認めなかった理由の一つである。

また、未承認国家は港を持ち、南にはトルコ、東には中東に繋がる黒海へのアクセスを持ち、ロシア軍14師団の武器貯蔵庫は実質上ソヴィエト製武器の密輸の拠点となった。
BBCの潜入報道では核兵器の密輸出も行われた可能性がある事を示唆している。

ヨーロッパのブラックホールと呼ばれる所以だ。

連邦崩壊直後多くの武器がアフリカや中東にながれ、濡れ手に粟の利権を我が物にした人間が多くいる。Smirnovもその一人だと考えている。事実Smivnov一族は幾つものローカルビジネスのオーナーとして君臨している。

トランスニストリアは当時のソヴィエト、現在のロシアの政治戦略の元ロシアからの経済的かつ軍事的支援をうけて、ロシアの政治的目的の為に独立させられたと考えている。
民族対立は口実にすぎない。
これは過去にアフリカ、中東、南米、カナダのケベック、中国、朝鮮半島、そして日本国内においても引き起こされたことのあるコミンテルンの常套手段と酷似している。
元々反体制的なグループに手を伸ばし内側から分裂、崩壊、革命を導く手法だ。

*補足*
トランスニストリア地域は歴史的にモルドバの一部では無かった。
しかしソヴィエトの戦略で、元来モルドバの領土だった北部と黒海に面する地域をウクライナに取られ代わりにくっつけられたのがトランスニストリア地域だ。

トランスニストリアのモルドバへの帰属を否定することはモロトフ・リベントロップ条約(独ソ不可侵条約)を否定することになり、歴史を遡りウクライナとも領土対立を引き起こすことになる。

モルドバ内右派にはこれを求める声もあるが、問題を必要以上に大きくするため実現はむずかしい。

ロシアはモルドバの内政に介入する事無く現状を維持させるべきである。
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以下にこの記事の不適切な記述を指摘しておく。

2. 91年12月にモルドバ政府軍との紛争に発展。ロシア軍はドニエストル側に付いた。

既出の通りロシア軍はモルドバ独立、ソヴィエト崩壊に先駆けて14師団をトランスニストリアに駐留させている。モルドバ本土では無く、わざわざトランスニストリア側にである。
これは、その他国の経済自立に必要な港、発電所、他工場すべてをソヴィエトはトランスニストリア側に集めていた事とも関連がある。
スラブ系ではないラテン系のモルドバはいずれ離反する可能性があると考えて、モルドバ併合当初からの戦略である。

ロシア軍は既に武力衝突が起きる可能性を察知し備えていたと考える。

紛争が起こったからロシア軍が加勢したのでは無い。

3. 「ドニエストル共和国」の住民はロシアへの信頼が非常に高い。
既出の通りロシア系住民は1/4である。
特にDubasariなどモルドバ側との接触があるにもかかわらず、武力で投票所が封鎖されモルドバの選挙に参加すら許されない住民がいる現実があるなかで、

トランスニストリア住民の全体がこの記事にあるようなロシアへの信頼を抱いているとは思えない。

この記事において取材を受けたのはロシア系住民のみで、トランスニストリア地域にすむ住民を代弁したものとは言いがたい。にもかかわらず、住民投票の結果を引き合いに出しあたかも地域全体が「ロシアが守ってくれる」という意識を持っているかのようなイメージを刷り込む恣意的記述だと感じる。


ロシアが係わる地域における民主的選挙に、基本的に私は懐疑的である。

既出の通り武装勢力が闊歩し、正直な意思表示が出来ない環境で「自由な投票行動」がどれほど約束されているのだろうか。クリミアにおいても同様の状況がおこっているとかんがえている。

4. 独立宣言後に地元経済が低迷している点を指摘。こうした現状への不満が多くの住民がロシア編入を望む背景にある。

モルドバ内にも年配を中心にソヴィエト時代への回帰を望む声は一定数存在する。

ソヴィエト時代はモルドバにも家電製品や航空機産業、衛星に乗せるメモリを生産する工場が存在した。
しかしいずれもそれぞれの「一部」を生産するだけで全体をアセンブルする工場は存在しない。
そしてそのいずれも西側産業の形式と異なるため受注が途絶え消滅した。

経済の低迷には他様々な理由があるが、それはモルドバがソヴィエトからの独立が直接の原因であるような記述は事実の歪曲である。


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