2013年7月31日水曜日

人口、減るのを止めるのは無理なの?

津市における人口減少の流れは昨今言われる少子高齢化における自然現象で不可避なのか。


平成24年度の調査において
人口減少率全国平均:▲0.22%
であるのに対して
津市の減少率:▲0.37%
である。
なお平成25年の津市の人口減少率は▲0.42%とさらに大きく人口を減らしている。
津市の人口は徐々に減っているのでは無く減り幅を増やしながら大きく減少している。

ここでコーホート図というグラフを紹介する。5年ごとに行われる国勢調査のデータを使う。5才ごとに集計された世代別の人口を5年後のデータから差し引くことで、5年後にそれぞれの世代の人口が増えたのか減ったのかを可視化することが出来る。

平成12年から17年にかけては高校を卒業する10代後半から20代までがおよそ学業のためなどの目的で多く流出し、その後30代になって帰ってくる典型的なUターン型を示した地方都市のカーブを示している。合わせて30代が増える事に関係してその子供達である10才以下の就学前児童の数も増えている事を示している。

一方で平成17年から22年にかけてのグラフは形を大きく変化させおり、全体の人口も2078人減らしている。20代の流出は5年前のグラフに比べて倍近く増加し、30代Uターン組が十分帰って来れていない事を示している。

津市が彼らにとって戻ってくる魅力を失ったという可能性をこのグラフの変化は示唆している。

12年から17年のグラフと17年から22年のグラフの示すことの違いを対比することによって、現在津市が直面している大きな人口減少の流れは単なる自然現象の結果では無く社会構造の変化を如実に示すものであり、変化に対応できていない行政側の対応の遅れを考えざるをえないのである。

少子化が進むなか人口を増やすことは無理な目標なのか
日本全体の人口が減少を示しているなか、果敢に人口増を目標に掲げ戦略的に生き残り政策に力を入れている自治体がある。千葉県流山市だ。

同市は昭和51年から平成25年にかけて人口が2倍に増え、平成37年に向けて15千人ほどこれからも増える目算を立てている。

平成17年に地下鉄の駅が開通し最寄りの23区内から30分圏内という恵まれた環境があるとは言え、開通の1年前に当選した市長が市の目標として人口増加を掲げ、イベントの開催や目標を明確化したシティプロモーションを行う等の戦略を的確に積み重ねてきた結果であり努力の表れである。流山市は特に30代前半の女性をターゲットにし、「親になるなら流山」というキャッチコピーで既婚者対象の広告を打ちイメージ戦略を駆使し、合わせて子育て世代が希望する行政サービスを事業化するなど目標到達のために部局を超えた政策展開を行っている。

都心部のベッドタウンと津市を比べてはいけないと言われるかも知れない。
首都へのアクセスの良さは流山が持っている「地の利」である。

津市には津市の地の利がある。それが何なのかは又後に回すとして、
問われるのは姿勢である。
必要なのは戦略である。
一見デメリットと思われる要素をメリットに転換する発想を持った会社が不況を乗り切る力を持っている。

津市にしか無い独自の特色をフルに活かして津市でしか出来ないライフスタイルをアピールし、都心とは異なる豊かな生活プランをうまく提案していく努力をする必要がある。

そして住みたくなる津市になるために現在不足している要素を洗い出し、これを補っていく戦略を組み立てる必要がある。


これは即ち住環境の整備・向上に利する政策に繋がっていく。

続く・・・・







2013年7月29日月曜日

失われた年間138億円

「津市の活性化!」「町を元気に!」というキャッチコピーが飛び交ってはいるが、果たして津市は本気で活性化に取り組んでいるのだろうか。「活性化」という言葉の定義が色々あるというのは言葉遊びであり、本論からの逃避である。

地域経済が隆盛する事が最も多くの方々が期待している「活性化」ではないのか。

だとするならば、地域経済の活性、消費の増加は消費者の数が増えることと大きく関係している。言い換えるなら「客の居ないところに商売は成り立たない」。

そこで津市の人口の推移を見ていただきたい。
津市の人口は長い間282000から3000の間を行き来して推移していたのが、平成20年を境に急激に数を減少している。

県の調査によると平成22年の平均所得が一人当たり300万という数字が出ている。ピーク時の平成20年からデータのとれている22年までの間だけでも1569人減っており合計47億円津市から無くなったことになる。同じ数字を平成25年まで広げると人口は4610人減っており、同様の計算をすると年間138億円が津市から失われた計算になる。
(因みに津市の人口のピークは平成11年の28万3952人で、最小の平成25年との差は4973人である。)


4600人は津市で家を持ち、あるいは家賃を払って生活をし、日々食料を購入し時に娯楽のために消費をしてたわけである。その人たちが居なくなると言う事が地域の経済に直接的な負の影響をもたらすであろう事は火を見るより明らかだ。

市内総生産(GDP)の推移もグラフにしてみたが、同様の時期から右肩下がりである。


課題は如何に消費人口を増やすかである。

続く・・・・・




出典:三重県
「一人当たり市町民所得」=(雇用者報酬+財産所得+企業所得)÷対象地の人口

2013年7月8日月曜日

クウェートの女傑Mrs. Sara Akbar


クウェートと聞いて我々の世代が思い出すのは湾岸戦争。

イラク軍が撤退間際に火を放ち、放っておけば100年間燃え続けまともに消火活動をしても5年ないしは10年かかるだろうと言われたクウェートの油田。
実際は9ヶ月ほどで全て消火された。

その消火の立役者の一人で、消火団の中の唯一の女性だったSara Akbarという女傑の講演の通訳を今回受けた。

どうやらアラブ諸国では有名な人らしい。

新人技術者から信頼を得るまで:
両親は教養が低かったために子供達には常に教育の大切さをうったえていたらしく、大学の教授や学校の先生の他に彼女と同様エンジニア職に就いている兄弟は5人も居る。

当初から油田の技術者になる事を希望していた彼女は国営の大きな油田開発会社に就職。
技術者になったからには現場に行きたいとうったえたが、他女性は技術者であっても事務職しかつかせてもらえなかったらしい。彼女は現場職を希望したが、クウェートは300万人しか居ない小さな国。女性が油田の現場で働いて仮に事故でも起こって怪我をしたり死亡した場合に、うちの会社は国や社会から「現場に送る男が居なかったのか?」と非難を受けると彼女の要望を拒絶した。
それでもプロになるためには現場での経験と知識が不可欠だと思った彼女は上司に食い下がった。
結果朝の7時から午後の4時までと言う約束で油田に向かうことに。
最初の職場は海上油田。船に乗って数時間。ついたときには午後1時。4時までやって上司に電話して、交代はいつ来るのか?と聞くと、海がしけてるから今いけない。交代が来るまで働いてくれと言う通達。10時になってやっと交代が来たものの、おおしけの海を船で渡ってきた新人技術者。船酔いで嘔吐して仕事にならず、結局次の交代がくる翌日の午前10時まで現場で働くことに。

会社側から出した要求を会社側が初日から守れなかった関係で、以降労働時間のことは一切言われなくなったという。

その後10年間国中の油田の現場で働き熱心な彼女は実力をつけていく。結果何か現場でトラブルがあったときには現場の方から「Saraを送ってくれ」と言われるようになり男女問わず他の誰も追随できない立場と信頼を獲得することとなる。クウェートにおいて初の女性油田技術者の地位を確立する。

侵略:
バーレーンのご主人との結婚を1月前にした90年8月、突如クウェートがイラク軍侵攻で占領されることになる。
3月後バーレーンのフィアンセに電話をかけるために隣の国に向かった。8月の夏の暑いとき、クウェートの多くの人が避暑に国外に出ている際にイラクの侵攻が起こった。その後多くの人達が危険を感じて出国し、全人口の1/3しかクウェートに残っていなかった当時、当然のようにフィアンセは「なんでまだクウェートに居るんだ。早くバーレーンに来い」と言ったらしいが、彼女はこの申し出を断る。
国難の最中私には出来ること、私にしか出来ない事がある。貴方を愛する以上に母国クウェートを愛しているから今出国するわけには行かない。と伝える。

実際15万人ほどが油田及び精製工場で働いたが、イラク軍の侵攻後国内に残ったのはたった50人。
クウェートは油田で精製した油やガスで電気を起こし、海水から飲料水を作っている。また摂氏50度になる夏のクウェートでエアコン無しに生活出来ない。つまり油田が機能しなければ誰も生きていくことすら出来なくなってしまう。

国に残る人達が生き残っていくためにも彼らのために彼女はクウェートに残らなければいけないと考えたようだ。

家事仕事は家政婦に任せて生活の豊かになったクウェートの女性は突然の出来事に対応できないだろうと彼女は思っていたらしいが、現実には食料や水の確保、武器の横流し、イラク軍に対するデモ活動など、路上で見かけるのは女性かイラク軍のいずれかだったという。
実際軍との対立で銃撃を受け亡くなった人の多くは女性だったらしい。

撤退と消火活動:
彼女は「10年間の油田での現場職の経験はこのときのために神に準備されていた」と言った。
サダム率いるイラク軍が油田に火をつけていった話は有名だ。
アラフォーの我々の世代はクウェートと言えば湾岸戦争と共に油田の燃えさかる火と煙の映像を思い出す。高校生の時だったと思う。昼間体育教官室で教員がテレビを見て「とうとう始まった」と言っていた情景を思い出す。

世界各国から消火活動のために人と機材が持ち込まれ、過去に直面したことの無いような消火活動に対して様々なアイデアが出され試みられた。消火の専門家が集まる中数少ないエンジニアだった彼女は現場職で培った経験をフルに活用し消火活動を支援していく。また彼女自身もローカルチームを編成。45日間で42の油田の火を消したといい、最も多く消火活動を行ったチームだったらしい。

そのかいあって5年か10年はかかると言われた700を超える油田の消火をたった9ヶ月で終わらせる。

その事が切っ掛けで政府から多くの職務を受け様々な復興を手がけていくこととなる。特に戦後たった2年間で戦前の油田の生産量を取り戻した事は偉業だったらしい。


起業と創業理念:
ところが国営企業で出来ることの限界を感じ2005年には自分の会社を作ることになる。創業時たった3人で始めた油田と精製の会社は現在800人の従業員を抱える大きな会社に発展し、株式はもちろん上場し業績は上がり続け、現在8ヶ国で事業展開しているという。

彼女は2003年のイラク戦争においてサダムが自国イラクの油田にも火をつけていった際に油田の消火活動を頼まれてチームを編成しているという。その際にもジャーナリストがイラクは貴方の国を侵略した国じゃないか、問われた際に「独裁者には怒りは感じるが、イラクの国民に対して怒りは無い」と答えたらしい。

だから彼女の起こした会社は営業利益を上げるのは当たり前だが、それだけでは不十分だという理念を持っている。地域のコミュニティの利益も生み出し人々の生活に変化をもたらさなければならないという。またイラクだけではなくカタール、エジプト、等の中東の国の他にウクライナやロシアでも油田開発をしており、民間であるからこそ地域活動などを通してそれぞれの国との架け橋となる事が自由に出来るのだという。特にイラクとは経済的関係を強めることでむしろ闘いを起こすことの方が不利益が多いと考えるまでに至ることが出来れば戦争を回避することが出来ると考えている。

所感:
様々な道無き道を開拓してきた女傑であり、その軌跡を見る限りは強靱な女性のように感じられると思うが、実に人当たりのソフトな女性らしい方だった。
つい先日、アベノミクス成長戦略第3弾において「戦略」として掲げられた女性の社会進出。女性ならではの視点が新たな製品を既に幾つか生み出している。彼女たちがより社会進出することで新たな企業理念を生み出し、社会を大きく変革させる可能性を秘めているのかも知れない。

またSara Akbar女史も3年間は子供とのスキンシップを保てるような環境を整備すべきだと言っている。彼女は10年間旦那を待たせたらしい。それでも今でもご主人は彼女のことを愛しているという。結婚適齢期から10年間待ち続けたご主人も凄いと思うが、女性にとって出産を計画することは仕事と家庭のバランスを保つことでとても大切だという。


社会整備を行っていく一端を担うものとして、やはり事業所内保育所を活用して子供と出来るだけ近い距離で仕事を出来る環境を整備することは、子供を犠牲にしない女性の社会進出の在り方として大切では無いかと思う。

2013年7月6日土曜日

クウェートと移民政策


とある理由でSara Akbarという女傑の講演の通訳を引き受けた。
非常に興味深い女性なので彼女のことはまた改めてアップする。

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5日に上京して事前の打ち合わせをした女史ご本人と二人の秘書と夕食を共にした。

その際に非常に興味深いクウェートの状況を聞いた。

クウェートは全体で290万人しか居ない小さな国だ。
驚くのは半数以上が外国人移民だと言う事。

wikiによれば人口の構成は以下の通り
住民は、アラブ人(クウェート人)が45%、アラブ人(クウェート以外の地域)が35%、南アジア系(印僑)が9%、イラン人が4%、その他が7%である。


クウェート以外の人間が人口を占めると聞いて最初に尋ねたのは選挙権だ。
もちろん外国人に選挙権はないと言う。

「当たり前だよ。彼らが選挙権もったら我々は端っこに追いやられちゃうよ」と笑って答えた。

次に聞いたのは社会保障のことだ。
クウェートでは全ての社会保障が無料だという。
学校は大学までタダ。医療も3ドルほど払えば何でも治療してくれる。もちろんガンなどの高額医療も存在するが、3000ドルも出せば何とでもなるらしい。
そして全ての子供に児童手当が付いて150ドルほど支給され、加えて大きくなれば400平米の土地が与えられ。家まで建ててくれる。死ぬときには葬式の一切の費用と墓石まで国が面倒を見てくれるという。

これが可能なのはもちろんクウェートが世界有数の産油国で、国が非常に豊だからだろう。

ただ、この社会保障はクウェートの国民にのみ許されている。
そしてクウェートの国籍を取ることは非常に難しい。
1920年頃にばっさり基準を切って、以降父方の血統が無い限り、ないしは年に2000人だけ、技術や学問や何らかの専門分野でクウェートに貢献した外国人が国籍を取得することが出来る。

非常に狭き門だ。

クウェート人以外の子供達は国営の学校に行って無償の教育を受けることは出来ない。高い学費を払って私学に通わせるしか無い。
と言うかわざわざクウェートで家族と生活をし、子供を私学に通わせることが出来るのは外交官なり仕事の関係で家族ごと移住せざるを得なくなった人間で元より収入の高い人達。

外国人がわざわざクウェートで生活するメリットは殆ど無いらしい。よっぽどの高収入で無い限り教育も、医療もまともに受けられないし、外国人は土地を買うことすらそもそも出来ないらしい。即ち家も建てられない。

すなわちクウェート人の人口よりも多い数の外国人の大多数は家庭を持たない単身で出稼ぎに来た単純労働者。
外国人が家庭を築いて生活をする事を望むなら、どうぞ本国で。という意思が非常に明確に示されている。

当然失業手当や生活保護も外国人には適用されない。
仕事がなくなれば帰りなさい。というだけのこと。

労働のために渡航したものが職場を失えば役割を終えて帰るのみ。
非常にハッキリしている。

クウェートの一般家庭には家政婦、シェフ、ドライバーの3人がだいたい働いているのが当たり前だという。これらをまかなっているのが外国人労働者。

元々クウェートは油田が見つかるまでは貧困で、地元で精算できる物は殆ど無く水すらイラクから輸入していたという。
彼らの収入の糧は魚介類を捕ること。特に天然の真珠を取って売っていたらしい。残りは貿易。インドから香辛料を買って西側に売る。また西側から買ってきたものを東側に売る。そうして長い間生きてきた。

異なる民族と貿易と交渉を重ねてきた国だからこそ、外国人との関係になれており、移民政策の目的もシステムもハッキリ明確なんだろう。

初めから明確だから働きに来る人間も割り切っているのかも知れない。
契約内容というのは明確であるに越したことは無い。曖昧な記述が原因で誤解を生んで後からトラブルが発生する契約は良い契約とは言えない。

果たして我が国の政策は多くのことが曖昧で、結果双方が共に満足しない内容に成ってはいまいか。

よかれと思って差し出した例外的援助が、意図的につけ込まれて濫用されているケースも散見される。そして裏切られたと怒る。

これは国のシステムに限った話では無いとも思う。個人のレベルでも、商売のレベルでもよくある話では無いのか。

我々は相も変わらず世界の中で非常識な国家なのかも知れない。

この話を聞いてふとそんなことを考えていた。




参考
2011年の一人当たりのGDP47,982ドルであり、世界的にも上位に位置する。富裕人口の割合が非常に高い国であり、およそ8世帯に1世帯が100万ドル以上の金融資産を保有しているとされる

石油が主要産業であり、世界第4位の埋蔵量がある。

引用wiki