井村屋:浅田社長インタビュー:第3回


貴虎:ゆでガエルの話を私もよくします。カエルはそれに気が付かない。あまりにもゆっくりだから。変えるべき所と変えなきゃならないところの判断は難しいと思います。守りたい物は何なのか、ぼやっとして不明瞭な事が多いので。昔は中心市街地、大門商店街があって凄く発展していて、周りにも企業があって、各々がちゃんと成果を出していた時代がありました。遡ると江戸時代の末期には船が北から荷物を載せて降りてきて、最後に津で軽い物を乗せる。すなわち書類であったり人であったり。その後鳥羽の先で一旦停止をして天候をまって江戸に行く。松阪や伊勢の行商のオーナー、番頭が東京に出て行く、指示をしてお金が入ってくる。藩の行政人がいて、江戸に要望をたてる。そんな人達が津にいたという事なんだそうです。お金があって、文化があって、華やかさがあった。みなが津に来たかった、舶来者の時計があった、しゃれた物があった町だった。それがおそらく私たちの一世代か二世代前まで残っていたのが、この数十年にあっという急速にそんな位置を追われていった。失われていった。だから津って何所?っていわれたときにフラストレーションを感じているのかと思います。元あった津の華やかかりし時代。東京のような喧噪とした所では無く。そのステータスを変えない、あるいは失ったとしても復古すると言うことを考えると、逆にドラスティックに色々なものを変えていかなければならないのかも知れないと思っています。田畑があって恵まれていて、あくせくしなくても取りあえずやっていける、財政調整基金もたくさんある。そんな津が危機感を持つために、どのような意識変革が必要でしょうか?

社長:豊橋のシーズニング株式会社で調味料を作っていました。当時の調味料事業部です。そこのリーダーとして8年お世話になりました。津市は合併して28万ぐらい。豊橋は30数万。津も豊橋も同じような規模の町です。私たちは家内と共に東京から豊橋に来ました。豊橋の郊外の人達は、駅の中心部に行くのを、町へ行くといいます。津でも言いますよね?私には別段不思議ではありませんでした。しかし家内は大阪のど真ん中でうまれて東京も長かったので、町へ行くっていったって町じゃないじゃないじゃない。町って何処へ行くの?という話をしていました。同じような地方都市には、同じような感覚があるなと思いました。
その家内が、津と豊橋とは違う印象を持っています。町の整備が豊橋の方がよくいきとどいていると言っています。
それをどういう所で感じるか?私はそのように敏感に感じませんでした。ここで産まれてここで育っていますから。何十年経って帰ってきても道に迷わないという都市はめずらしいですよね。それだけ変わっていないと言うことですが、家内は直近の豊橋と比べて、街路樹、それから 道沿いの樹木とか花などの手当、ケアが行き届いていないと言っています。豊橋は比較的それが進んでいました。あまりそのような意識で私が見ていなかったので、言われてみればそうかな~というところなんですが、確かにセンター部分の花の手入れなどは豊橋はしっかりやってるなと思います。雑草の除去や樹木の整備、全体の景観として、適切な整備は住んでいる人にとってはとても大切なことです。細かいところだけど、女性であったり市民としてここに住んでやっていくんだという印象としては、大事な視点なのかと思います。豊橋はゴミゼロ運動の発祥の地で、環境とかゴミを無くそうと言う事について歴代非常に熱心にとりくむ町です。だから景観にも気を遣うのかも知れません。
例えば年2回の剪定を3回に増やす、町を綺麗にしたときにその先に何があるのか。みんなが考える必要があります。2回で良い、あるいは1回で良いという人も居るでしょう。だから3回にしたときに何があるのかみえなければ、賛成者が集まりにくい。そこをどのようにして意見を吸い上げるか、あるいは自分が表現するか。それは大きなところで「こんな町づくりをしていく」と言うことと同じで、そこをいかに示すかと言う事が大切です。津は全国の都道府県の中で、最も環境の優れた都市、美しさに恵まれた都市であるという事を作ろう、そういうことをして住民の皆さんが誇りが持てる、あるいは衛生的な都市に済むと言う事で気持ちもそうだし、疾病も含めて住みやすくすることが出来るんじゃないかと言う、何かテーマにしていくことが無いと動きにくいですね。

貴虎:先日流山市に行きました。元々松戸と柏の間にあるあまり知られていない町でした。新しい電車が17年に開通し、都市に近く我々と立地条件が違います。町もコンパクトですし。しかし知名度が無いことでは津と同じでした。人口を増やすことを町の目標に定め、色々なイベントやPRを展開してイメージ戦略を計りました。年一回のイベントも30代の女性を絞り込んでPRをしています。あの町に住みたいと感じてもらって、最終的に移住をしてもらう。放っておけば人口は流出します。よく活性化と言われます。しかし全てを地元の企業や商店に全てを課すのは無茶な話。リーダーが地元の人達に変化を求める、その先を行政が牽引する。こうすれば人口がここにあつまる、だからあなたたちも協力してください。イベントの開催等あなたたちの出来ることをやってくれないか、津の人達が誇りを持てる待ちにしましょうよ。我々も仕事をして人口増加を約束します。2500人重要員が居て、100億の予算があるおおきな団体です。官民一体で動き出していくことが今我々に必要ではないかと思うのですが?

社長:都市というのはダイナミズムがあって、それぞれに関連性が必要です。行政だけ、民間だけ、と言うことだけは構成できないわけで、お互いに繋がりが必要です。お互いの力量の発揮がないとトータルな変化にならないので、その中で行政が、シンボル的要素の動きをすることで、企業も個人も触発されて一緒にやろうかという事になる可能性はあると思います。例えば津市内の個々の商店街がだけが努力して人が来るのか?交通アクセスの問題や、そもそも魅力創出の問題もあるはず。だから本当に市全体の全体の繋がりの問題だと思います。

貴虎:一つ一つ掘り下げていけないのが残念なのですが。交通とう意味で津が欠けているるものがあれば教えていただけませんか。

社長:津市が広がってきたので、全体の中で旧津市内における町の賑わいが不足しているのは事実だと思います。町へ行こうと言うときに、そのマグネットになるものが何か?商業であったり、文化であったり。マグネット作りをどうするか。そして交通が大切だと思います。豊橋は駅前から路面電車が走っています。広島や富山、札幌などそれほど多くない。しかし市民の足として重要なポジションを持っている。結構利用している人が居るのも事実です。最近は進化してノーステップの物が出てきて老人が乗りやすかったり、一律料金だったり。町の交通の主軸になっています。来やすいと言うことが交通です。駐車場をたくさん作れば良いと言う事では無く、公共交通においてもやっていかなければならない事です。でなければ集約要素が出てこない。来やすいけど帰りやすいという事も大事ですね。

貴虎:路面電車を主張した人も過去には居まして、企画の中には書かれたこともあるのだが、利用者が、いなくて予算が大変と言う事があって・・・・・

社長:富山も広島も、成功している事例を調べて、何故成功しているのか分析する必要があるでしょう。


********************次回最終回********************

貴虎:高齢化社会で交通弱者という問題もあって、通院の要求など我々の都市にとって問題の一つになっています。

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