2012年7月27日金曜日

とうとうきたか、マイナンバー

とうとう来たかという感じ。
そりゃ元々自民党も総背番号制なんていって随分以前から話には上がっていた制度、大枠としては。

 だから、今回民主党が「社会保障の一体改革」の軸の一つとして(少なくとも私が感じる限りは)復活させてきたこの案件、時間の問題だろうと思っていた。

でもこれ、3紙とってるけど伊勢新聞だけ、載せたのは。たぶん伊勢新聞主催で、このことに関するシンポジウムやってるから、この会社は意識もしてたんだと思う。

全否定はしない。前にも書いたとおり、データーベス検索上共通IDをふることは最低限必要なこと。
にもかかわらず異なるデータベースの間での串刺しが出来なかったがゆえに、いろんな手続きに手間がかかった。もちろん技術的なこと以上に異なる縦割り行政の間のシステムを事実上串刺しすることが出来なかったアナログの障壁もあったんだろうが、それもこの機会に一気に整備をするというわけだろう。

たしかに便利になる。
恩恵は、どれだけ大臣が住民のベネフィットを喧伝しようが、最もそれを受けるのは官僚、行政側。つまりシステムを運用する側。

で、私がいっっっっっっちばん懸念してるのが、これが拡大利用されること。
そしてその可能性が高いこと。
今回の3党合意でどうなったのか分からない。
でも、前回シンポに参加したときの資料を見る限りは、
「より多くのデーターベースでの利用が広がることが、より大きな利得を生む」という主張が書いてあった。
馬鹿の一つ覚えみたいに、相変わらず「スウェーデン型」として社会保障の先進国として祭り上げて。あそこのシステムはとうの昔に破綻しているにもかかわらず。



そして、そのごとく拡大利用された社会に私は7年間住んだ。

そして、自分を保障するはずの「番号」がいったん私を裏切ったとき、それが仮にエラーであったとしても、社会システムは私を信じない。番号を信じる。それを覆すためには、すまりシステムエラーを補正するためには、番号が無かったとき以上に大きな支出をしいられる。金だけで無く、時間と、労力と、精神力と。
 つまり場合によっては訴訟を起こして、エラーだと主張する側の理由を明示して、公式に巨大システムに喧嘩を売らなきゃならなくなるのだ。

そして多くの場合にそれが取り返しの付かない傷になることがある。
もちろん自分に責任がある場合もあるだろう。
原因はどうであれ、
補正、修正
が難しい社会になる。

ドロップアウトがメインラインに戻ることが難しい社会になる。

そして
社会の格差が、超えることの出来ない、階級を生む。
現代のカースト制が事実上浮かび上がってくる。
それが自由と自己責任の国アメリカの現実。

 過去の過ちをふまえてアメリカの物よりもすばらしい「システム」を作る。
と言うのかも知れない。
果たして技術だけが向上すればエラーが防げるのか。

エラーの存在しないシステムもまた、永久機関と同程度に存在しない。


そして、なによりも
システムに合致しない「例外」にたいする対処がものすごく難しい。
私はアメリカではエイリアンだった。
当然だ。
エイリアンはその地のシステムを知らない。
親も居ないから自ら肌で経験を通して習得しなければならない。
エイリアンはその時点ですでに現地人との間に大きな見えないディスアドバンテージを抱えている事を知った。

そして多くのエイリアンがドロップアウトする。
エイリアンはエイリアン同士集う。

そして経済的環境に共通点が生まれたとき、
経済情勢の悪化と共に、エイリアンのコミュニティの不満が暴動と化する。

私は霊能者でも預言者でも無い。

20年後、30年後、
私は予言を的中させたとしてこのブログを取り上げられるかも知れない。

アメリカがソーシャルセキュリティナンバーを導入したのは1930年代。
そしてどんどん利用対象が拡大され、生まれてすぐの子供にまで発行させられるものになり、買い物でもたずねられ、業者はデータを収集し、その番号で様々な個人情報を引っ張り出すようになる。
金融機関、カード会社はこれを大金で買い取る。
ソーシャルセキュリティナンバーが無ければ全く社会生活が出来ない社会になる。
 車も買えない、家も買えない、なぜなら金が借りられないから。

行政の中だけでしか使えないはずの物がどんどん流出する。

持っている側の意識もどんどん軽率になる。

住みにくい社会になる。

番号は非表示にすべきだし、行政の中でも厳しい利用制限を用いるべきだ。

どんな合意が成されたのか気になる。

こうしてどんとん津市はおいて行かれる

とうとう町議会までiPad配布に動いた。

去年の5月に議会改革会議で提案、否決されたのは何時だったか・・・その次かその次の会議ぐらいだったか。 blogの履歴をさかのぼれば出ては来るが。
その間にも佐賀県議会が支給、程なくして佐賀県内の何所だったかの市も支給をきめている。

三重県では鳥羽がwifiを議場内にとばし、iPadはもちろんとうの昔からPC持ち込みOK。

議会は時に執行部「新しいことを試みない」と責める。
PCの使用を未だに可決できない議会に言われる筋合いでは無いわな。

去年の議会改革検討会でこの案件を提案した際、賛成者0だった。私は委員外議員だったので採決に参加できなかった。

当時決めていれば少なくとも県下初だった試みも、「時期尚早」だという。

そういえば先日合議制弊害の法則という記事をめにしたっけ。
もちろん暴走や独裁を防ぐための会議という側面もあり、全てを否定はしない。(現在その部分においても機能しているか懐疑的だが)
しかし新しい試みというものにどうしても乗り出せない足かせになるのも事実。

前回は「私一人だけが」という図式になってしまったのでそれを回避したいのだが、意を同じくする同僚議員の動きが少し緩慢なのが気になる。



以下引用


◎幹部職員、議員にタブレット端末=和歌山県由良町

和歌山県由良町は、班長以上の幹部職員(24人)と町議会議員(10人)を対象

に、携帯タブレット端末「iPad(アイパッド)」を配布した。和歌山県内自治体

では初めてという。町の条例などをまとめた例規集がインストールされており、町議

会本会議をはじめとした各種会議のペーパーレス化を進める一方、新たな活用方法を

模索する。

例規集は2500ページにも及ぶ分厚さ。法令の変更などに伴い年4回の定例町議

会ごとに印刷、議員らに配布していた。職員向けには既に電子化しており、1人1台

ずつ配備されているパソコンで見ることができるが、携帯面で利便性が乏しかった。

タブレット端末に転換することで、年間100万~200万円の経費節減と効率化が

見込める。紙の例規集は廃止する。今後、タブレット端末を操作しながら質問したり、

答弁したりする姿が見られそうだ。

現在、端末はインターネットには接続されず、庁内のサーバー化したパソコン1台

と接続されている状態。このため町は、当面、月1回開かれる課長班長会議で端末を

活用。会議資料をサーバーにアップロードして、端末で見ることでペーパーレス化を

図る。印刷や配布の手間とコストが削減できるほか、資料の効率的な管理や地球温暖

化など環境面でも貢献できるとしている。

総務政策課は「災害時の情報共有化など、さまざまな使い方が考えられる。今後、

若手職員も交えて模索したい」としている。(2012年6月27日/官庁速報)




2012年7月23日月曜日

中津軒で巨大オムライスを食う:中継予告

いつも堅苦しい内容しか中継してない私のustreamチャンネル。

http://www.ustream.tv/channel/takatora1

今回はちょっと趣向の違う物を中継してみようと企画しました。
というより
もともとはとある友人から誘われた大食い大会。
いっそのこと中継してやろうとおもいましてね。

という事で独断と偏見で「男達の馬鹿食い@中津軒 」というタイトルをつけまして、
ただただでかいオムライスをむさい男達が食う。という内容。
それ以上でもそれ以下でもありません。

中継開始は12:45頃から

しか〜し!
この心は何よりも津の活性化。
津の町には旨い物がたくさんある。そして色々なところで一生懸命店を守ってる人達がいる。中には新しい試みをし、新商品を開発し、果敢に挑戦している人達もいるのです。

それを「食わずして語れるのか!」
それを「食わずして守れるのか!」
それを「食わずして支えられるのか!」

そう、これは既に食う地域貢献。
食は地球を救う!

だからもう食べずにはいられないのです。

身を削る思いで食う。でも腹に実が付くのは何故?
そんなジレンマに葛藤しながらの壮絶なドキュメンタリー。
涙あり、笑いあり、感動ありの約30分
(感情は個人の主観に委ねられるため保障はいたしかねます)


それでも貴方は食わずにいられますか・・・・・


2012年7月18日水曜日

ポルタ・いよいよ大詰めか

今朝の伊勢新聞。

ポルタがいよいよ津市に
「フロアをかってくれ」
と言ってきた。

他に買い手が付かないから津市が買うんだと。

市長は「市民にメリットがあるのか」
を問うとしているが、下手な言い訳を突きつけてこないことを切望する。

電車の利用が何よりもこの建物のメリット。
顧客を久居地域内にもとめない、電車に乗ってくる人達がメリットを感じる業態に働きかけをすべきだと何度か言った。
アルコールを販売する業態。
クラブ、アミューズメントバー、カラオケ、スナック等を入れて、遠方からも来たくなるような目玉を入れる。
駐車場が少なく不便である以上そっちに目を向ける以外にない。

あるいは
知人からのアイデアで大企業のコールセンターにしたら?というアイデアも提案した。
通勤できる。
賑わいは呼ばないが入居してもらえる可能性がある。
Amazonは札幌に150人規模のコールセンターを確保した。
いまonlineで取引を行う業態にとって顧客とのやりとりをするのに確保する必要のある部署である。
果たしてポルタの床が他のコールセンターに比べて安いのか高いのか。調査していない私は分からないが、コールセンターに限らずオフィスビルとして電車通勤の利便性を訴えて売り込むのも一つの手法だろう。

地元大手のスーパーが撤退してから働きかけに行った先は
他のスーパー
あるいは大型量販店。

床をまるまる買い取ってもらうことを念頭に入れた工夫も努力も感じられないアプローチ。
スーパーが売り上げが伸びずに出て行ったのに別のスーパーに働きかける感覚が理解できない。

この問題が持ち上がったのは決して同スーパーが撤退した今年の1月からの話ではない。すでに昨年末を待たずしてその意思表示はされていた。

そもそもあそこは以前から利益が上がっていないことが分かっていたはずで、何時出て行ってもおかしくなかった店舗。

店子の経営状況を把握していない大家が、それを知らなかったというのはあまりにもずさんな経営。

ポルタを管理している三セクの経営陣の意識改革の必要性は、あそこと関わりを少しだけ持ったことがあるという複数の別のソースから伺っている。

今回の
「赤字になったから津市が買ってくれ」
という安直な主張。

経営陣の無策を追求して全員撤退していただく。
株主は株を放棄していただく。
会社を解体してゼロからやり直す。

それぐらいしないとあそこは変わらない。

市長の豪腕発揮を期待する。

2012年7月15日日曜日

いじめ問題・雑感

元校長先生という人が言っていた。
もちろん今話題になっていることに関してだが、「ある種必然だ」と。
というのも学校の教員の間でのいじめのが酷いという。
もちろんどこの学校でもと言う事ではないとおもう。というかそうであってほしいとおもう。
また、地域の差や時代の差も有るとおもう。
少なくともこの元校長は定年退職してからいくらかたっている。

ともあれ、周りにいる大人がそんなだから子供がまねて当然だ、と。

彼女の実体験として言われたのは例えば
会議をするさい「校長側の先生にはわざと配布プリントを配らない」とか結構あからさまな対応をするんだとか。
とくに日の丸や国歌斉唱の問題が話題になっていたときの事だったらしく、
 式の準備で国旗を揚げても、次の日になると下げられている。
仕方が無いから交代でよる番をする事に。真夜中をすぎてもう大丈夫だろうとおもって帰宅すると、翌日の朝には必ず下ろされている。
などなど

この校長先生が一部の意思を共有する教員と、他の教員との間、
つまり校長派と反校長派の「闘争」の一部を教えてくれた。


また国連開発機構に従事しニューヨークで仕事をしていたとある方の意見では、もちろんその肩書きがこの件に関する彼の意見において何も信憑性や保証をするものではないのだが、

子供は周りの大人のまねをする。
学校でも職場でも、日本はいじめ社会だ、と。国外でもいじめがないわけではないが、日本のものは陰湿だ、と。

この人曰く、渦中の学校の先生の責任を問うとか、いじめた側の子供がどうとか言う前に、親も含めて、そんな環境を作ってきている日本中の大人すべてが懺悔すべき、だと。

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人は過ちを犯す。
しかしその過ちが今回の事のように取り返しのつかないような状況になる前に、
特に成長の過程にある子供達においては
周りにいる大人が導いてやる必要がある。

元校長曰く
「毎日5時間も6時間も時間を共有している子供達の間の心理状況が解らないはずが無い」と。

現場の教員の責任は今回の場合警察の介入で明らかになるかもしれない。


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はたしてこの私も、正直に言おう
いじめた事も
いじめられた事も
いじめを傍観した事もある。

だから責任がある加害者の一人だ。

なぜいじめが生じる心理になるのか、そしてどうすれば解決が出来るのか。
解らないし、簡単に解るようなら誰も苦労しない。

ただやはり子を持つ親として、子を育てる責任のある大人の一人として
少なくとも他人の心の痛みのわかる子には育ってほしいとおもって育ててきた。
文化や宗教や時代や民族を超えて共通する黄金則というのがいくつかあるが
その中の一つに
「自分のされて嫌な事は他人にはしない」
というのがある。
これは子供達がけんかするときに必ず言ってきた。

あと100%で来ているとはとても言えないが、
相手に思いをはせる事を出来るだけ実践しようと努力している。


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家庭は社会の縮図だ。

子供は家庭で学んだ事を社会に出てそのごとく行う。

いくら口で言い聞かせても
模範である親の行動がそれに伴っていなければ子供は学ばない。

家内が大変なときには私も手伝う。
子供は大きくなってきているので一緒に手伝わせる。
「ままが大変だからね」と理由を解るように言って。
ままがそれを見て喜べば子供はそれを実感する。

相手の心が解れば、痛みも解る。

私は「自分の好きな事をしなさい」という教育が好きじゃない。
自分の好きな事だけをして生きていける世の中ではないからだ。世の中そんなに甘くない。
自分の好きな事を実践していく上においても、好まない事もこなして初めてそれが可能になるとおもう。
ましてや辛い訓練無くして何の技術も知識も向上することはなく、努力無くして達成できる成果など存在しない。

好きな事だけをすればいいという考えは、ときにその好きな事のために生まれうる周りの犠牲を顧みない可能性をはらんでいる。

自分の欲求と
それを実行したときに
1対1であろうが1対複数であろうが
誰かが嫌な思いをするとき、誰かが不利益を被るとき、誰かが痛みを感じるとき
自分のわがままでそれを押し通すのか、それとも自制するのか。
そのことが意識できて、そのうえで判断できる「技能」を習得する必要がある。

人は集団で生活する事を前提として生きている生物だ。
だから自分と他人、自分と社会、
そんな認識を育てない限り成熟した大人にはなれない。

そんな自分と他人とのバランスが養われれば今回のような問題はずいぶん減らせるのでは無いかとおもう。

人格形成の要は間違いなく親であり、特に母の影響は大きい。

親は子を産み新たな命を自分の後にこの世に残していく以上、その子たちを世に送り出す意味において社会に対して責任をおっているという認識をする必要がある。
単に自分が欲しくて作った自分の子供というだけではなく。

わたしは「自分が生きた事でどんなプラスが残せたのか」
そんな意識で子供には生活をしてほしいと願っている。
そして私はそれを見せる事で教えていかなければならない役目を背負っているとおもっている。