「津市独自の幼保一体化に向けて」オープンディスカッションに参加して

前葉市長、平素よりご愛読いただきありがとうございます。
先のエントリーを読まれて、のけぞる姿が目に浮かぶようです。

 私は市長の「お友達」ではございません。議論を交わす対象の一人です。
ご機嫌取りの耳障りの良い言葉だけ羅列したところで私の存在意義はございませんのであしからず。
議論と口論の違い、即ち個人的に人格を貶めているわけではないと言うことは外資系の企業におられて英語も扱われる市長ならきっとご理解いただけることでしょう。

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さて、今日のオープンディスカッション。 なんと言っても目玉は岡田副首相。
SPも付いてきて物々しい・・・・

幼保一体化の説明なのにやっぱり税と福祉の一体改革から始める。
社会保障費の増加は消費税増税でしかまかなえない。
5%のうち4%が今までのサービスを維持するために。
残りの1%がサービスを拡充するために。との事。

そして各国の家庭関係支出のGDP比表を示す。
日本は0.79%
スウェーデンは3.35%
日本はアメリカ並みにまだまだ低い、と。

だから民主党の政策を全て実現しようとすれば、消費税10%何てまだまだ入り口で、これからどんどん増税してどんどん社会保障費を増やす。つまり大きな政府を作りますってのが根本にある考え方の様だ。
この辺は私の印象ね。
民主党の今までのマニフェスト、高校無償化、高速無償化、こども手当、最低年金、農家個別保障、全部マジでやろうとしたら消費税20%でも全然足りないでしょ。
彼らの政権が仮に続けば、スウェーデンをモデルにして日本を高福祉社会を高い税金でまかなう社会に作り替えていくことでしょう。
働かなくてもまかなってもらえる社会。社会主義化です。それを我々の国は選択すべきか。望むのか。スウェーデン型社会の問題にもちゃんと目を向けるべきである。確実にいえるのはあそこは決して地上の楽園ではない。
ちょっと脱線。

で、子供子育て支援の中核として
待機児童の解消
質の高い幼児教育と保育の提供

それが「こども園」 というわけだ。

ハッキリ岡田副首相は言いました。
保育園と幼稚園は「殆ど同じ事をしている」。
にもかかわらず保育園は厚生労働省
幼稚園は文部科学省
縦割り行政になってて
画用紙一枚買うのにも別々の手続きをしなきゃならない。
だから一つにしましょ。まとめて簡素化しましょ。
という主張。

凄く問題のある発言だと思う。
私は保育園から幼稚園に転校して2年保育を受けた組。
娘達も同様。
そして私の恩師からの受け売りで、
幼稚園はとても大切な教育をする場だと聞いている。
彼女曰く、
幼稚園には小学校のように教科書がない。読み書きそろばんを教えるのが幼稚園じゃない。小学校に入ったときに他のともだちと「共に学んでいく為の基礎」を教えるところだと。だから常にそのこども達一人一人の性格や特性を把握しておかなきゃならない。そして成長させる方向性のプランを立てる必要がある。しかしそれは口で言って聞かせて習得させることが出来る物じゃない。だから導くべき瞬間をアンテナを張ってまっている。そして一番適したときにこども本人に考えさせる。気付かせる。そうして一人一人を導いていく。それをクラス20人全てに行う。大量生産の出来ない個別指導だという。

私は彼女のクラスだったことを今凄く感謝している。 そんな風に情熱を持って教えていただいていたことを。
だから幼稚園には園児が帰った後の準備の時間がとても大切なんだという。先輩や園長と話し合って相談し方向を模索していく。手探りの作業なんだと思う。10人10色だからだろう。
 そんな幼稚園の教育内容を岡田副総裁ははたしてご存じなのか。疑問を持った。


もちろん 保育園が教育をしていないとは言っていない。
しかしどうしてもウェイトが異なる。それは創設目的が異なるからだ。

ちょうどiphoneとipadの違いと同じだと思う。
iphoneは電話だ。webブラウジングやメール機能はあくまでもおまけ。
一方ipadはブラウジングのための媒体。電話機能は付いていない。skype何かをインストールすれば音声通話は出来る。でもあくまでも本来の目的であるブラウジングの「おまけ機能」でしかない。
双方大きさが違うだけで似ているかも知れない。でもデザインの段階からそもそも非なる物なのである。

 これを一つにしようとするならiphoneかipadのどちらかに軸足を置いて、そこにない物を「補う」必要がある。
大きなipadをそのまま耳につけてiphoneの様に通話するのは不格好だし煩わしい。だから付属のヘッドセットでもつけて、そこからダイヤルも出来たりする必要があるかも知れない。即ちipadに現在存在しない機能を 「追加して」新たな電話機能を付加する作業になる。

それを例えばiphoneとipadの中間ぐらいのサイズの奴を音声通話付きで作ったらどうだろう。双方の中間。どっちつかず。帯に短したすきに長し。結局使えない代物になる。

岡田副総裁のいう「いいとこどり」は結局使えないどっちつかずに成りはしないか?
しかも教育の向上はあくまでも後付で
結局根本は大人の理論、システムの簡素化と経費の削減に重きが置かれている感がどうしてもぬぐえない。

このまま国の政策の通り行われれば、開いた幼稚園のスペースで保育園までやって待機児童を減らすこととか経費の削減だけがメインになってしまうように感じる。

「こどもにとって何が良いのかという視点で考えなければいけない」としきりに繰り返していたが、幼保一体化によって「なぜ教育のレベルが向上するのか」という点は最後まで説明がなかった。
強いて言うなら教育面のベネフィットは保育園児も幼稚園児も同様の幼稚園レベルの教育を一律に受けることが出来る。という事だろうか。一律化であって向上とは少し違う気がする。
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だから私は
津市独自の幼保一体化という市長の発言に「一抹の期待」を感じると表現した。
全体的に不満が多々ある。でも「独自」の展開を意識していただけるなら不足を補える可能性がまだあるからだ。

そして白山の乳幼児センターの例を市長が紹介した。
ここの取り組みは私の恩師のシェアしてくれた「理想型」に近い。
 皆共通に幼稚園の教育を受ける。
そして親が向かえに来る組と学童組に分かれる。
学童組は保育園の園舎に移り保育を受ける。

教育を受ける場である幼稚園のスペース保育の場所を意識的に分けることが出来る。
そして擬似的に家に帰ってきたように保育園の保母さんに迎えられる。
そんなシステム実験をこのセンターは行っている。

ここで例えば幼稚園の教員が引き続いて保育をしては「中途半端なiphone」になってしまう。
新たな保育士を補充してこれに対応し、幼稚園教員は教育準備に十分時間を費やしていただきたい。
白山の実体はどうなのかは私はしらないし、今回市長の説明はそこまで言及しなかった。
だから単純に「労力が軽減される」のがこども園であってはいけない。
むしろ「付加機能」であってアップグレードでなければならない。

そして保育の現場の切実さを訴えられていた園長が居た。
保育士の6割が臨時雇用だ。津市の2500人体制のもと、保育士の数は減ってはいないが増えてもいない。でも需要は高まっているのでそれを臨時で補っているのが実状。 ボランティアのようにこどもを守ることに熱意を持って奉仕してくれる保育士の方々。しかし今の津市の対応はそう言った保育士に対して社会的保障を十分に与えていない。
もちろんパート形式の就労を望む保育士もいる。しかし多くの保育士が正規雇用を望み試験を受けるも、この採用試験が難関の狭き門になっているのも事実だ。

だからこそ保育士の補充を行って対応する必要がある。
こども園にしたら、全体的には色々な意味において経費削減にはなるだろう。 でも新たな投入も必要で、単純減にはならないはずだ。

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小宮山大臣は「こどもは社会が育てる物」という。これは過去にもいろんな社会で繰り返された過ちで、誤りである。

こどもは基本家庭で育てる物。こどもにとって母親と接する時間はとても大切で、出来ればより長く確保するべき物。
そこがブレては絶対にいけない。

でももちろんそれが難しい現実もある。だから補うためにあるのが保育園だ。
津市は幸いにも3世代同居であったり近所に親が住んでいるような生活体系を確立しやすい場所にある。

保育園の充実の話と一緒に、家庭での保育の強化。場合によっては祖父母に対する助成や支給なども検討して、出来るだけ家庭で見てもらえるようにするのも、全体としての経費の削減にも繋がり、あるべき姿の家庭の構築をサポートする子育て支援の在り方として一つの政策だと思う。

要求される物を全て役所が提供するような図式ではいけない。役所は魔法のランプじゃないからだ。

今後も展開を見守っていくつもりだ。

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