津山城視察の所感と津城跡及び周辺の開発


古い見事な藤棚だったので壊さずに残した。

藤棚の柱は櫓の柱位置と符号
 津山城の備中櫓を見てきた。
ま〜すごいわ。
完璧な復元。見事なレプリカ。

ここは幸い完全な図面が残っているらしく資金の調達さえ出来れば本丸も含めて全ての建築物を復元させることが出来るらしい。

とはいうものの図面は全てを示してくれない。例えば内部装飾。壁紙、畳の様式、棚、天井の装飾等々数え上げたらきりがない。これらの部分は復元に携わった担当者が当時の文化や城主であった森家の他の現存する文化財などを参考にして計画書を作り文化庁に提出。文化庁が納得して初めてOKがおりると言うような事を幾度となく繰り返したらしい。

また櫓はもちろん戦国時代には戦闘用の建築物だったわけだが、どうやらここ津山城では江戸時代に入って改修され奥の院のような使われ方を最終的にしたらしい。
その結論に至った根拠は本丸の御殿が狭いこと、御殿から同櫓まで橋が架けられていたこと等の証拠から。
大理石部は壁、他畳部分、板部分など素材を分けて表示

結果畳が敷かれ壁にも天井にも装飾がされ、茶室も再現したんだという。だから備中櫓の内部は殿がプライベートな時間に使用したであろう御殿としての内装を施してある。
1mの石垣が在った位置。視界を遮るため植え込みに
 様々な装飾部分は県外の様々な職人に発注をして作らせたものらしく細部に至るまで復元担当者の思い入れが込められている。

多くの復元建造物が耐震対策のために地表を削ってコンクリートの土台を作っているらしいのだが、津山の担当者は「そんな工法は慶長時代に存在しない」というこだわりから重しの石を並べて櫓をくくりつけている。基本石垣の植えに乗っかっているだけの建物なんだが、土台の木を石の凹凸に合わせて削っているため真っ平らでなく横揺れには確実に絶えられると自信を持って語っていた。しかも栗の木を使っているので腐らないらしい。

ここでは書ききれないほどに「徹底的に当時の物の復元」という考え方にこだわって作った櫓。東京の国立図書館など様々な文献を掘り返して3年近く研究に費やしたんだそうだ。その為に学術員も臨時で雇用したりしたらしい。
つまりこの櫓は調査研究の集大成。この櫓を見ることそのものが研究内容を知る実体的資料なんだという考え方だ。

補強した石垣の石は別の色に
 見事な徹底ぶりだ。そのぶんすばらしいレプリカが出来た。
鍛冶屋に特注で作らせた和釘

ところがだ。
鍛冶屋に特注で作らせた和釘

櫓の構造が見られるようにした受付部分
 津市の場合は教育委員会生涯学習課の中の文化財担当がこの事業を担う部署になるわけだけど、教育委員会の管轄にある人達には、観光名所とか集客とか地域活性の核、といった視点が欠落している事が多い。津山の場合はその典型。

おそらく研究対象物としての考え方ならばこの津山の担当者の考え方ややり方は100%ただしいんだと思う。

しかしこの櫓を建てるに当たって文化庁と約束をした環境整備「つまり石垣の修繕とか文化庁の要求する文化財としての在り方に準じた形に整えていく作業、つまり明治以降に作られた元々存在していなかった物の撤去」が資金が調達できないという事で頓挫している。

公園の入園料300円が直接の収入で、櫓にはいるのは無料なのだが、この歳入では焼け石に水だとか。
しかも本来なら環境整備が整えば全ての建造物が復元できるだけの資料が残っているが、それらの物を作るだけの財源も無い。
もちろん50年後には修繕をしなきゃならないらしいがその財源のめどなんかはなから考えていない。

一方で城跡から駅までの間に商店街が存在するがここは見事にシャッター通りと化している。またこの近くに町並み保存地区があるがここも商業的には成り立っておらず店は殆ど閉まっているらしい。にもかかわらず景観計画をつくって建築制限を課すらしい。

経済的側面から見ると持続性も拡充計画も欠落した事業だ。

当初は地元のJCが城の復元をめざす運動を行っていたらしいが、実際の復元事業には一切タッチしていないらしい。
復元に関する見解の相違が原因のようだ。
そりゃそうだろう。
JC側は地域活性の目玉にしたかったんだろうから。

果たしてここから津は何を学ぶべきか。

城の復元だけに限らず行政の行う全ての事業に於いて持続可能な計画という考えを確立すべきだと思っている。

例えば物を建てれば必ず出てくる10年後20年後の修繕が必要になる。その資金をどこからまかなうのか考えておく、あるいは財源を確保できる収入源を確立しておくと言うこと。さらには当初事業では出来なかった計画も、確立された収入を元に段階的に随時拡大していく。それが持続可能な計画だ。
これがないとどうなるか、財源は常に市の予算からの捻出と言うことになりその都度議会での承認も含めて様々な時間のかかるステップを踏まずして実行できなくなる。
襖の取っ手
そんな理由で多くの施設が修繕の最善の時期を逸して、結果より多額の修繕費が必要になったりという弊害が起こりうる。

現在存在する様々な事業計画がこういった持続性という部分に意識が馳せられていないように思う。

以前にも一度全員協議会で出した凡例だが、なぎさまちの駐車場。土地の賃貸料として毎年たしか合計1500万払っている。立体駐車場にすべきだという意見があっても予算がないから出来ないという。
釘隠の装飾部
 駐車場全体のキャパがおよそ500台。平均駆動率をざっと70%にすると350台X365日だと127000台。それが500円ずつ払ったとすればおよそ6400万の売り上げが見込める。
 とすれば地代を差し引いてもおよそ5000万毎年収益が上がる。立体駐車場を作るのに1億5000万かかるという事らしく、およそ3年でこいつか可能になる。
居間
 一日500円徴収しないことと、独立財源を確保して段階的に設備を拡大していくこと、どちらがよりよい住民サービスだろう。私は明らかに後者だと考える。


津城跡の今後の整備及び開発に於いても持続性のある計画を作るべきだ。

津城の櫓の再建やそれに伴って最低でも私が平行して行うべきだと考えるのは津市の郷土資料館の設置、そして周辺地域の開発・活性化。

居間の畳
役所はまず最初にどうやって国庫補助を受けるかという思考をするだろうから、放っておけばこれらそれぞれ別々の事業として予算を立てようとするだろう。
結果津山のように意見の相違が出来てJCは復元から手を引き、市はレプリカ作りだけに資金を投入し築城400年記念の花火を上げた物の維持費もまともに捻出できない荷物を抱えることになる。もちろん見事な教育資料として高価なお荷物だ。

天井の装飾
 私は包括的な開発をするためにも持続可能かつ段階的に開発拡大をしていくためにも独自の財源を確保すべきだと思う。計画次第では国庫補助も県の補助もなしにこれら全てが出来るかも知れない。PFIを使えばその穴を通過できるように思う。


二条城の物を参考にした襖の鍵



茶室

2階部の壁紙

消防法クリアのための苦肉の策・取り外せる

2階部姫の間の天井

櫓部分・壁の部分に大理石を使用



修復した石垣。色を変えて表示

備中櫓

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