2011年7月31日日曜日

生きるということ・生き方ということ

人は皆ここに生を受け、そしてその長短はそれぞれあるが皆等しくこの世を去る。
生まれ出でて死ぬことは我々の選択圏外だ。
しかしその時間を如何に過ごすかは我々次第だ。
如何に生きるか、すなわち自分の生の質は自己の責任である。

自分の生に質を問わなくなったとき、
その人の一日は食べて寝ることの繰り返しに陥る。
その人の人生は死を迎えるまでの単なる暇つぶしに過ぎなくなる。

自分が如何に生きるべきかを考えなくなったとき
生きることはその人にとって与えられた時間で自らの欲求を如何に満たすかが最重要課題になり、時に自らの利益の対価として他者に不利益が生じたとしても、その人にとって大きな意味を持たなくなる。
場合によっては世界はせめぎ合いの場であり、駆逐された者は自らの弱さを恨むべきと主張するようになるかも知れない。
つまり善と悪は意味を成さなくなる。

自らが如何に生きるべきか、様々な選択肢はあると思うが、いずれにせよ一朝一夕に定められるものではない。
自らの生の質を余生短くなってから憂いてもすでに手遅れである。
生の質とは生き方そのものであり、自己の選択の蓄積から成り立つ物であり、成熟に時間を要するからだ。いくら表面だけを取り繕っても偽物は偽物に過ぎない。人はそれを敏感に感じ何時までもだまし通せる物ではない。
如何に生きるべきかという問いは出来るだけ幼いときから常に意識し探求していくべきものだと考える。

生き方の質を追究するとき、必ず選択の岐路に立たされることになる。選択の難易度の差異にかかわらず。
そして誰にも見られていないから、誰も気が付かないからという囁きを耳にすることになる。往々にしてその囁きに耳を傾けたところで直接的実害を得ることはまず無い。
しかしバレない、捕まらない。が自分の判断基準になったとき、既に自らが汚染されていると気付くべきである。
貴方が既に子供を育てているとしたら、警告をしておく。貴方の子供もバレなければ結構だと考え貴方の前に隠し事をするようになるだろう。取り繕い、ウソをつくようになるだろう。

法律は社会の公正さを保つためのルールだ。しかしそれのみで公正な社会は作り得ない。法で人を律することは出来ないからだ。人は自らを律するすべを身につけねばならない。人は他者から強制されることを激しく嫌うからだ。

多くの人は生き方の質を激しく問われることはない。しかし突如として岐路に立たされることがあることは気にとめておくべき事だと思う。少なくとも選択を迫られたときにうろたえずにすむように。自らの会社が社会的被害を生み出した時にも、一時の取り繕いでウソを言わなくてもいいように。とっさのウソは往々にしてばれるものであり、ばれたときには一気に状況は悪化する。 保身という利己の優先順位を被害者の救済という利他より上位に置いた故にエゴだと言われるからだ。しかしそんな難しい判断は生半可な事では下せない。つまり日々如何に生きてきたかが問われるからだ。他でもない訓練の成果といえるだろう。だからそのような試験を突きつけられることのない大多数の人々はある意味恵まれているのかも知れない。

しかし大きな試験に自らをさらされるような事が仮になくとも、日々我々は小さな試験を繰り返しており、訓練の成果の蓄積こそが自らが築いてきた自己そのものであり、その自己が故に人は人に疎まれたり人に好まれたりする。
人から疎まれる人には疎まれる理由があり、人から好まれる人には好まれる理由がある。そして最終的に好まれる理由も疎まれる理由も自らが築いてきた自己に原因がある以上、自らの責任の範疇である。これは年齢を重ねれば重ねるほど容姿が占める割合が減って行く分如実になる。
女性は必ず若さと共に美貌を失い男性は若さと共に俊敏さや判断能力が衰えてくる。女性は愛でられることが無くなり男性は尊敬されにくくなる。
そうなった時男女を問わず人は内に何を持っているだろうか。

私は巨万の富を抱えながら疎まれて孤独死を向かえるよりも、着の身着のままであったとしても子や孫から愛され、人から惜しまれて生を終えたい。
人から与えられる愛情は強要して得られる物ではない。自らが愛されるに値する者でなければならない。人は往々にしてこのことを忘れがちである。愛は力で得ることも金で買うことも出来ない。なぜなら愛してもらわなければならない代物だからだ。
これは偽善の元には成り立たない。

老いてから手遅れにならぬような生き方をしたいものだ。

ラタトゥーイェという子供向けのアメリカ映画がって、娘達と何年か前に見たことがある。
食べる物に繊細な味があることを知ったネズミが父親から言われた言葉。食い物は燃料だ。尽きたら動けなくなる。だから四の五の言わずに食え、と。

生き方の質を考える余裕のある私は、生き方を選ぶことの出来ない境遇に生まれた人たちに比べて随分恵まれている。

人は学び、思考し、夢を描き、未来を築いていく能力を持っている。新しい物を生み出す可能性を持っている。機関銃を渡され兵士として教育され年端もいかぬうちに殺される子供達でも、爆弾を抱えさせられて検問所を破壊するために使われた子供達でも、親の代わりに労働を強いられる子供達でも等しく。そして飢餓人口は9億人を超え、7人に1人と言われている。様々な可能性を能力を秘めた貴重な人間のかなりの多くの数がその能力を開花させることなく生を終えていっているかも知れない。これは大きな損失ではないだろうか。
人間の脳はフル駆動しておらず、その能力の一部しか使っていないと主張する人がいる。その真偽は分からない。しかし人類全体として7分の1の人材が消失しているかも知れないという事は脳の話よりもずっと現実的だと思う。

難民と言われる生活を強いられている人たちの子供の多くは、その不虞な境遇にもかかわらず成熟し高い志を持っている事に驚かされると国連難民弁務官の方から伺ったことがある。自国の人たちの命を守る医師になりたい、当たり前の生活が営めるような国を作るために政治家になりたい、と主張する年端もいかない子供がたくさんいると言う。

皆適切な教育を受けそれを開花させることが出来たとするならば有能な人材ばかりだ。IQの高さよりも志の高さが人を突き動かす。障害を乗り越えて成果を上げる。

適切な教育を受け自らを実践、具現していくことの出来る環境を得た我々は間違いなく恵まれた存在である。そして自らの得た恵みは自らが甘受するだけのために存在するのではないと、恵まれた者達は実感して自らの生に責任を持って営むべきである。なぜなら我々が受けた生は我々が選んで受けた物ではないからだ。我々が与えられた環境は自らの成果によって獲得した物ではなく、たまたまここに生まれたという事以上の物でも以下の物でもない。

我が国日本は経済的には成熟した国になったが目的を見失った彷徨える亡国になってしまったように思う。我々が本当に満たされるためには自らの存在意義を見出し目的を定めその如く成果をなした時ではないだろうか。未曾有の天災を経験したとはいえ、それでも日本は恵まれた国である。
世界の力のバランスが代わりつつある今、覇権戦略を持った国を近隣に持つ我々日本は、これから何処に向かうべきか真剣に考えなければならない時にあるのではないかと思う。

花火大会・しゅーりょー

やっぱ朝日屋のフィナーレは毎年すごいね〜。

娘達がかなりハイパーになってはしゃいでました。
年中行事ってのは結構大切で、毎年同じ時に同じ所に行って同じ事をする記憶ってのを意識して花火大会に行ってます。
12月に出てくる予定の長男も家内の腹を中から蹴ってたらしく、花火好きになりそうです。
夏になったら花火大会にいつも行ったよね〜と子供達が大きくなったときにそんな話で盛り上がって欲しいのです。
時間の共有ってのは人の関係を近くするものです。

家内の国ではクリスマス、イースター、あとはマルティショールって行って春の訪れを祝う行事があったりしますが、料理をたくさん作ってみんな集まってきて騒ぐんだそうです。

なんか私の家にはそういう年中行事ってのが余り記憶に残っていないので、少し寂しい思いがします。

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寺町南自治会の避難訓練を10時から行いました。
目の前にある中消防署が津波の時の一時避難所になっていますので、
津波が起こった場合にはここに集まってくださいね。
という事を確認するために皆さんに集まっていただきました。

この辺の想定は1メートルぐらい。2階に達することはないと思います。
でも通常の大雨による1メートルの浸水と、津波の1メートル浸水区域というのは基本的に被害の想定が異なります。
1メートル浸水って事は車は流されてくる可能性がある。
津波のエネルギーでぶっ飛んできた車がぶつかれば人は死にます。ま、その前に水に流されて瓦礫に揉まれているはずです。木造の家なら基礎が破壊されて流れていくでしょう。だから基礎の強固な建物に2階ないしは3階に逃げなきゃならない。1時間から2時間の間に。

そんな刷り込みをすることが今回の目的でした。
8月には近隣の複数の自治会、防災会との合同で敬和公民館において避難訓練を行います。

毎回思うことですが、本当は労働世代の30から50代の人たちの参加が最も望まれています。なぜならこの世代の人たちが実際の災害時に重要な人材になるからです。でも私の住む地域は高齢化が進んでいることはもちろんですが、私の世代の参加者の参加はすごく少ない。
今回の震災を機に意識改革をしていただき、有事の際の協力がスムーズに構築できるような準備をしていきたい。

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これからなぎさまちのイベントで昼飯くって、その後県文に行こうかなーと思ってます。

2011年7月30日土曜日

off会終了〜。

結局3軒。2時に帰路に。

議会が無くてももっと頻繁にアップしろとの要望に応えまして、取り留めもないことを意味も目的もメッセージも無くただ書くことにしました。

お、そうそう。
あったあった。

10月8、9日。
津祭り会場の一角
津観音の東隣の
観音公園にて

国際色豊かな美味を堪能できるブースを展開します。
ステージでは音楽もやります。

初日は昼ぐらいからかな。
二日目は10時から。

よるは9時まで出来るようにバルーンライトも配備します。

バンド参加希望者は私まで。
ブース出店希望者も私まで。

詳細はまだ紙にしてません。

以上告知。

ノルウェーの件で色々書きたかったんさね。
でも書き出すと長くなるなる・・・
しかも我が社は決算期。

ほっとくと時機を逸するな〜と思いながら今に。

ヨーロッパではことごとく共生が摩擦を生んでこんな結果をもたらしてる。
しかし我らが住むここ地球は残念ながら一つしか無くて、しかも経済・軍事・政治、どの分野の問題一つとて一国で解決できる物なんかもう無い。北朝鮮ですら友好国と貿易をしなきゃ成り立たないんだから。
過去から学ばず愚者として共に果てるか、学び成熟して共に生きるか。
二者択一なんだよね。実際。

そしてこれは対岸の火事ではないと言うこともまた事実。

この歴史的にも地域的にも何処においても解決して来れなかったこの問題を
乗り越える事が出来た所は、逆に言えばこれからの社会をリードする先行者利益を確保できる者となりうる。

と思ったりしている。

この国は近隣国とはもちろんそうでない国とも上手くやっていくすべを習得しなきゃならない。しかも旧態依然としたパワーバランスによる敗者従属型のやり方じゃアメリカのように敵を作りイスラエルのように不毛の戦いを延々と強いられる事になる。
ロシアはエネルギー戦略で、中国は武力で勝者に返り咲くことに必至で、我々はこれに対峙していく必要がある。
だとするならば対抗しうる協力関係を作らなきゃならない。そんな時に国内で排他的民族主義を管理できないようじゃお話しにならない。

経済的にも、政治的にも自明の理なんだけど。
ガラパゴスにはガラパゴスにしかできない特殊技能がある。
それを活かさないとね〜。

あ〜〜〜〜、まだ少し気持ち悪い・・・・
2時半から船に乗るんだけど、大丈夫かね・・・

2011年7月24日日曜日

off会の件・最終

火曜日にはなの舞に人数報告しないといけません。
それまでに連絡下さい。
現在8人席を確保中。

よろしく。

2011年7月23日土曜日

ナイジェリアの雰囲気02

 基本緑の多いところ。元々は農業も盛んだったらしい。

国営のモスクのすぐ近くには国営のキリスト教会があった。


空港へ向かう道は渋滞が凄い。運転は結構荒い。舗装されてないところに乗り上げることぐらいざらだし。

所々で路上マーケットらしき物が開催されているのを確認。車道を往来する人多数。












2011年7月22日金曜日

ナイジェリアの雰囲気

ヒルトンホテル前
フランクフルト経由でナイジェリアに行ってきました。
通訳頼まれまして。

アフリカは初上陸。

イスラエルよりも南なんだけど、それほど熱くなかった。気温も上が34度ぐらいだった。たまたま曇りが多かったのかな?

Abuja空港からの道すがら
Abujaは新しく作られた首都のようで空港からの道も含めてまだまだ色々作りかけってな事なのか、首都!って雰囲気が余り感じられなかった。

googleの航空写真で見るラゴスの方がよっぽど都会風。

信号はほとんど無い。みんな何となく感覚で交差点を右左折してる。

町中で見る大きな建物は点在って感じで、銀行か原油の会社。これ国営。
Abuja空港からの道すがら

あとはでっかいキリスト教教会とモスク。共に国の持ち物だそうだ。

北部のイスラム系の住民と南部のキリスト教系住民との間で紛争も会ったわけで、Abujaは国土の真ん中にある都市。双方のグループに配慮してのことだと思う。

ナイジェリアの人たちは辛い物好きらしい。鶏肉やラムを辛く煮た物をカレーみたいな煮汁と一緒にご飯の上にかけて食う。
Abuja空港からの道すがら
あとは揚げバナナとかトウモロコシの練ったやつとか。結構好みだったけど。味的には。ただ、ラムはちょっと臭いかな。

水はペットボトル。生野菜と果物は避けた。それでも少し腹の調子が悪くなったので整腸剤を飲みました。

私が止まったのはチェルシーってホテルだったけど、しかし天下のヒルトンのレストランはさすがに見事な昼食バイキングだった。生野菜も久しぶりに味わった。
Abuja空港前

softbankは繋がるけどショートメールとメールはアウト。フランクフルトに戻ったときに連続受信。

チェルシーホテルはwifiは無いけど有線サービスがあって、これは無料。ちょっと遅いけど。

ここは基本マラリアの圏外らしい。虫除けスプレーもってったけど余り効果無かったような・・・
滞在中数回さされた。予防薬は飲み続けてます。

英語圏なんだけどアクセントが強くて、時々何言ってるか分からないことがあった。
ガソリンのことをgasて言う代わりにfuelってここの人たちは言ってたけど、フュールよりもフールに近い発音で最初分からなかった。あと1500。one thousand five hundred ないしはfifteen hundred と私なら言う所なんだけど、ここの人たちはone thousand fiveと言うみたい。1005と誤認しそう。

空港でカートの押し売りがここにもあった。荷物の受取所から空港出るまでの僅かな距離で20ドルふっかけてる。同行した人の一人が勝手に乗せられて金を要求されてるみたいだと言うことで仲裁に入った。捨て台詞にここには仲間がいるんだ。ここはナイジェリアだぞ。と脅し文句のような事を言われたが気にしない。この手の商売は良くある事。私がこの手の押し売りに困らされた当事者になったのは何処の空港だったかな?忘れた。結局払わなかったと思うけど。

基本観光地ってスタンスを取ってないみたいで土産物を買うところが見つけられなかった。空港でもホテルでも。ヒルトンのロビーで売ってたドレスは170ユーロ。高くてやめた。

どう考えても経由地のフランクフルトの方が面白そうだったもんな〜。遊びに行くなら。

来週29日のoff会の件

◆大人気定番コース ¥3,480
 に決めました。

現在私入れて4人。

突然showupってのは一応予約制の関係で無しです。
何らかの形で連絡下さい。

info@takatora.jp
ないしは
http://twipla.jp/events/9858

から

2011年7月10日日曜日

市議会のweb中継に関するupdate

事務局側からまた年間数百万かかるが出てきた。
独自回線を引いてサーバを借りてmedia playerとquicktimeに対応した独自のストリーミング。youstreamは使わない。
9月の議会で予算計上し12月議会には実施したい意向だという。

youstreamなら明日からでも即できるじゃないか、費用もかからないだろうと詰め寄ったのだが、この金額が高いのか安いのかはひとまず置いておいて理屈の通った理由がいくつかあったため手にした刀をさやに収めた。

まず独自の回線を引かなければならない理由。
庁舎内のラインは重要データにも繋がるラインであるためセキュリティ上別個の物を持ちたいとのこと。

そして人事があっても代わらず供給できる状態を確保すること。
現在本会議場でモニタに映している画像を2系統に分けて、一方をyoustreamに、もう一方を録画用にして、保存した物を議事録のページのあるサーバに保存素りゃいいだけじゃないかと思っていた。

今回も実は発生したのだが、不適切発言などによる”議事録から削除する”という現象が起こると、streamingの場合は”公式の議事録ではありません”という注釈をテロップとして表示しておくことでお茶を濁し、archiveの方はこれを編集しなければならない。
画像の編集、と言っても基本的にはカットのみ、ファイル名を付けてサーバに上げる。
分かるものにとってはどうって事のない作業だと思うが、100%皆が出来るわけではない、という。これをどんな人事が事務局にあっても継続提供できる状態を確保したいために、編集作業及び公開、タグ付けなどはどうしても外注にしたい。との事。

そして事務局の中で元情報系に従事していて意思疎通の出来た唯一の局員は、現在の議会のページの方も段階的に是正していきたいと言った。
現在トップページと議事録のページは異なる外注先が異なるサーバで運営しているバラバラの物なんだとか。ここで今回のstreamingのシステムを導入すると3つ目になる。
異なった時期に異なった決定で入札によってバラバラに作られたことが原因。録画画像のarchiveと議事録とのリンクも必要であることからこれら全てを出来れば一本化、ないしはurlが異なっても同じページに飛ばすような形で一つの物にしたいとのこと。
現 在議会のトップページは”shockwave”のプラグインを使ったなんの意味もないセンスのない動画が現れる。shockwaveと言ったら macromedia時代のflashの前身。私が大学4年生の時にあった技術。15年ほど前の物。この間さわれないでいたのがこの契約。こんな物もさわ れないでいるのが行政特有の外注と入札システムのセット。少なくとも事務局側でサーバ内のファイルをさわれるような契約でないと同じ事の二の舞だ。
その辺をふまえた上で彼が事務局にいるうちにこのことに関してできるだけ処理していきたいとのこと。確かトップページだったと思うがこの契約がこの3月に切れるそうだ。
それぞれの契約時期を待って統合していくのだという。

そのために最終的に一本にまとめるためにstreamingを提供するページを基礎にして古い物を刷新していく関係で、今回この外注先に丸投げしたいんだそうだ。

加えて県内他市でも既に本会議中継されている中で、津市では委員会まで公開してしまいたいと言う。その辺で一歩リードしたいという事らしい。

最 後までyoustreamにこだわりたかった理由のもう一つはSNSとの連携。streaming自体はラインやサーバのキャパはともかくとして私の Macに入っているQuicktimeをproにupgradeすればこれも比較的容易に出来る。技術自体はyoustreamが出てくるいくらか前から private useに対応したハードルの低い技術にまで成長していた。しかし今、テレビとさして代わらない一方通行のstreaming技術がtwitter等と連携 をすることで、議会からのフィードバックとは行かないまでも確実に横横の会話を生み出す切っ掛けを作ることがyoustreamには可能だ。その横の広が りこそがある意味魅力でもあった。

しかしながらstreamingの実現以外の周辺課題。archiveの利用、議事録との連携、そしてwebページのupdate等を同時に解決していく事とのバランスの中、私はyoustreamでの中継実現の主張を今のところ収める形になった。

web利用率の高い当blogのreaderの方々で、このことに関して意見がある方は是非聞かせていただきたい。次回の議会改革検討会は7月25日の予定だ。

第二次定例回修了・釈然としない最終日の採決

某議員が当初より行っていた発言。
65号補正予算案は教育から建設、観光、防災などなど100近くの事業をひとまとめにした議案である。

 事業の中には全く異論のない物もあれば、事業の趣旨に疑問があったり、付けられた予算の額に疑問がある物も事実存在する。

それを全てひとまとめで賛成か反対か意思表示をしなきゃならない。

同議員は異なった事業に関して分けた議案として提出すべきだと市長に問うた。
市長の答弁は「非常にユニークな提案だが、このように予算案を提出するのが通例であってこの如く審議いただきたい。異論があるのであれば修正案を提出いただく方法もございます」との事。

この修正案を提出することは容易なことではない。首長一人以下36人の議員が市長の提出した予算案に反対するという意志を共有した上で執行部が作ってきた案とは違う物を自ら作成しなければならない。
不可能ではない物の過去の津ではどうも一度も行われたことがないらしい。

阿久根市であったり名古屋市であったりよっぽど特異なケースで党派や会派を超えて市長と議会が対立でもしない限りこのような全面対決は普通無い。

言うなればどんな予算を出してこようが、よっぽどひどい物でない限り何でも通ってしまうのである。
それを知っててこのような予算案を出してくることが”横着だ”と主張した議員の言わんとしてることは良く理解できた。はなから議論してもらうつもりが無いんだろう、と。

しかし予算案の提出の仕方に関しては取り立てて地方自治法には明記されていないらしい。慣習を基礎に物事が動いている。条例を作って明記することも可能だそうだが、色々ハードルがあるらしい。

しかし少なくとも同議員が本会議で市長に質問したところで解決にはならない、らしい。
この議員は、全ての事業に賛成しているわけではないのに口も目も閉じて盲目的に承認をしろと言ってるのか?と市長に詰め寄ったが明確な回答はなかった。

そんな経緯があって、最終日の採決の際に同議員は再度この問題を持ち出して、棄権すると主張した。

私は立って賛成するか座って反対するか二つに一つを選ばなければならなかった。
釈然としない思いの中、立たざるを得なかった。
進めていくべき事業もある中で、決定的に反対しなければならない事業がそこには無かったからだ。せいぜい、ちょっとな〜と思う程度。

釈然としない。

2011年7月7日木曜日

乱発動議の事後考察

松阪市議の海住さん共産党市議団がこのように書いている事を知って少し調べてみた。

不信任動議にはどんな意味があるのか。
該当する役職に不適切な人間だという主張が「不信任」という形で表現されるもの。議会の議長や他議会内の委員会内の委員長や副委員長は議員が定めるもの、つまり議会に任命権があるわけで、すなわちこの役職を解く権限も合わせて持つものと思う。

所定の合意が得られて不信任案が成立すれば新たな議長なりを選出することとなる。議会において。

次ぎに副市長。これは市長が任命権を持つ物の議会によって承認される必要があるんだとか。で、あの阿久根市では市長がこれを行わなかったことが問題になった。ソースはここ。

だとするならば議会が認めない場合には市長は改めて使命者を出さなければならないわけで、これも議会の権限において不信任を出すことは可能だと思う。
余談だが、今いる二人の副市長は前市長からの引き継ぎのようだが、彼らは新市長になってから議会の同意を得ているんだろうか?何かそんな議論をした記憶が無いんだが・・・ どうも任期があるのでそのまま継続という事らしい。しかし市長が替わったわけだから新たな副市長が出ても良いはず。市長が望めばこれは可能なはず。ただ前葉市長は松田政権の継承を主張しているわけですからあえてしないのでしょうが。

さて市長に対する不信任に関しては明らかに地方自治法に明記してある。ここにある通りどのように不信任案が出されるのか色々あるようだが、いずれにせよ可決された場合には即失職なんだそうだ。

それでは部長職はどうなのか?特別職とよばれる人たちに関しては副市長同様議会の同意が必要だそうだ。そういえば今回も3人ぐらいそんな書類が回ってきた。

地方公務員法にはこんな記述があって議長も任命権を持っているようだが、どうやら議会事務局の職員にたいしてらしい。だから執行部の部長は関係なし。

そういえば部長に対する不信任すなわち任命権者の市長に対する不信任と同等だという様な事をあのとき誰かが言ってたのを思い出す。

不信任が仮に可決されたところで任命権は市長にあって議会の同意が必要のない部長に関しては、結局の所市長が換えないと言えばそれで終わってしまう話。つまり拘束力は持たない。ただ、議会から不信任が可決された部長をそのまま交代させない市長の対応に対して不信任を出すことは出来るかも知れない。いずれにせよ部長に対する不信任動議は市長のそれとは異なり拘束力がない限り無意味と言ってしまえなくもない。

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はたして先の不信任動議の乱発はいたずらに浪費した不毛な時間ではあったのかも知れないが、一つ腑に落ちないことがある。

動議が出されると議長の整理権の元、議会は暫時休憩となり、議会運営院会が開かれる。出された動議に対してその後の議会の進め方を代表者と調整をし、議会に戻ってくる。
出された動議を無効にすることは出来ないらしく、とにかく議場で出された動議に関する討論という物が始まる”はず”なのである。
まず動議を発動した者がその理由を述べる。次ぎに発動者に対する質疑が行われる。そのあと確かこの動議に関して特別委員会を設ける必要があるか無いかを議員に対して議長が問う。今回これに必要性を訴える声が上がらなかったので、仮に委員会が設けられた場合にどうなるのかは良く解らない。
で、討論に移る。賛成者が賛成の弁を、反対者が反対の弁を述べる。で、採決。

腑に落ちない事というのは今回出された幾つもの不信任動議に関して、動議に賛成した議員の賛成の弁は有ったものの、反対の弁が聞かれたのは議長に対する不信任の際にのみ。議長の所属する会派の代表が仲間を擁護するという点から発言した。動議の理由に対して明確な反論を述べた主張だと感じた記憶は無い。

で、他の不信任動議に関しては反対意見は誰からも述べられないまま全てが否決される。各々賛成しない理由があるだろうに。加えて皆が同じ理由で賛成しないわけではないはずだが、それは聞こえてこない。いずれにせよ否決されるのは目に見えているからあえて口を開かない。あるいは余計な時間はこれ以上かけたくないという意志もあるのかも知れない。

ただ議論を行う場として反対なら反対の理由を表すべきじゃないのか?と思う。部長に対する不信任が不適切だと思うなら、後からブログに書くぐらいならその場でその理由を主張すれば良いのに。と思う。

議会のイロハも知らない人間に対して語る物は持ち合わせていない。勉強しろ。というのもそれはそれであり。ただどうやら今回のような不信任動議はたびたび出てきているようで、だとするならばきっちり論破していただいて以後無駄な時間を費やさないように説得していただいても良さそうな物。でなければ某議員はことある事に同じような動議を出してくるだろう。これは執行部側にも言えること。説得力のある反論を出来ずにいるから稚拙な議論が相変わらず繰り返される現状を生み出した。

いずれにせよ議場において論議を交わし、場合によっては見解を変えさせたり変えさせられたりという様なやりとりがあっても良さそうだと思うのだが、どうもそんな事とは違うところの理由で色々な物が可決されたり否決されたりするように見える。

live discussion ってのが無いんだよな。多分。主張する人間は一方的に主張するけど、聴き方を心得ている人が皆無なように思う。主張する内容を聞いて理解してそれに対する反論を行う場合によっては考えを改めるという吸収もあまりない。主張する側も頑固に他を遮ってでも言いたいこと言わせろ的な部分が多くて説得力に欠ける部分が散見される。そして他人の反論を聞かずに意固地になるパターンも見受けられる。場合によっては内容云々関係無しにあの人基本的に気に入らないから賛成しないってなパターンもある。

とどのつまり議場外において根回しをしない限り何も事が動かない。議論をする場として準備された場所でで議論をしない 。建設的なレベルの高い討論が出来るようになるためには個々の議員が自分の見解をしっかり持っていて主体的な判断を下す能力を持っていないといけない。当然その意思表示には責任がついてまわる。不用意な発言でヘタな責任を負わされたくない。そんな保身的な意志も見えなくもない。

結局議員も執行部もなんにも明確な発言を議場でしなくなる。馬鹿馬鹿しい。なんのため責任者なのか。

1年生議員で正味2ヶ月ぐらいしかたってないのに随分生意気やないか。と言われる方もおられましたが、意思表示をするのが私の職務ですから言われる筋合いのないことです。
今後もすべき主張は正当である限り行っていきます。

2011年7月5日火曜日

Off会・6:30から、津駅前「はなの舞」7/29

予約取りました。

http://twipla.jp/events/9858
参加意思表明はここから。

ま、市政に関して、津の市議会に関して、他何となく。
私も意見を聞きたいし。

興味おありの方は是非。