生まれ故郷でカルチャーショック

今日思いもかけないところで軽いめまいに襲われるようなカルチャーショックを受けた。

とある総会に市議としてではなくとある役割を頂いて参加するハメになった。
年次総会と言うことだから
前年度の活動報告
会計報告
役員選出
事業計画
予算案
と続いて
採決が取られて異議がなければオッケ〜ってな
何処でも必ずやる流れ。

まずこの総会の議事を進める議長と書記をお願いしたいという旨を司会が発すると
そつなく会場から司会一任という声が上がる。

それならってんで、司会はじゃ議長は彼に書記は彼女にと指名してそれぞれ申し合わせ通りに席に座り議事進行に入る。

それぞれ報告があって

それじゃ今年の役員を決めましょ、となると
間髪入れずに会場から 案はありますか? というかけ声。

で役員名がすでに印字された紙が配布される。これに至っては最初に配布された書類の中には名前の書いてない役員選出用の用紙が”ご希望をお書きくださいね”と言わんばかりに入ってるんだが、これを使う暇もなく。
いかがでしょう?異議がなければこの通りに、と印刷された役員案がそのまま可決される。

その後予算案の説明がされて、これもまた見事に全会一致で採決されシャンシャンという事で見事30分で全てが終わった!!!
 すごい。これこそ万全の根回し。

良く訳も解らず呼ばれていった私は学芸会の発表会を見に行った気分を味わった。
 もちろん中核になっている数人の誰かが全てを事前に決めて、参加者にそれを盲目的に合意することを暗に強要しているわけで民主主義のかけらもない訳なんだけど、

正味年間35万ほどの事業で、参加する皆さんはほぼボランティア。誰が役員になったところでさして代わりはないし、やる事ったら去年と一緒。誰一人としてこんな総会に時間をかけたいと思わない。とっとと終わらせよーぜってな訳だ。
これで誰一人として困らない。ここが重要。
むしろこんなところで”異議はありませんか?”との問いにマジで異議を唱えようもんなら、何を今更こんなところで。てめー空気読めよ!と言わんばかりに激しい抗議の眼にさらされ、議長もシナリオにないハプニングに対応出来ずにオロオロして、会場の全員を敵に回すことになるんだろうな。

別段真剣に議論する必要のない事柄だからこれで良いのかもな〜と思いつつ、だったらやんなくてもいいじゃねーかとも思ったり。

決まり事があって、それを効率よくすませることには長けてるけど、その決まり事の存在理由を考察してそれが当てはまらないが故に決まり事自体を緩和したり変更しようという方向にエネルギーを投じない。

八百長とか出来レースとか方々で問題になってる分野もあるけど、日本ってこういった根回しをして、とにかく丸く収めましょ。ってな事をする文化が昔っから有るのかな〜。

 これって特有だろうな、と思いながら何となく面白い経験をした。

コメント

  1. ほんと、民主主義のかけらもないね・・・。話し合いには意味がなく、ただただ、決まった通りに物事を進めていく! これは、議論をする場ではなく単なる儀式みたいなものなんだろうけど・・・。貴虎さんが言うように、別にど~でもいい事柄なら、こんな儀式みたいなものの進め方でもいいかもしんないが・・・。これが、重大な事柄を決める時までも、こんな感じだったらかなり事は深刻だよね。重症!

    誰か偉い人や有力者がこう決めてんだから、それに従う。で、それに意義を申し立てる者や刃向かう者をKYとか言われて、白い目で見られて、仲間から除外されるみたいな・・。

    熟議民主主義なる言葉があるけど、現実は、それとは程遠いなと思った。おそらく、日本人には皆同じようなマインド設定がされていて(日本人はこうあるべきでみたいな・・・)、ま、どの人種もある程度保有しているマインドだと思うが、それと違うものは、異質な者として排除される歴史的風土が根付いているのだろうね。ま、今では、そのような意識だいぶ薄れてきているだろうと思うし、そう期待するけど・・・。

    だから、日本人の頭の中には「公」なる概念が元々存在しないんだなと思う!なぜかって、皆同じだからね。それと異する者は日本人じゃないんだから!島国だから、他の諸外国みたいにすぐ隣に違う人種がいて、小さいコミュニティの中で異質な者同士が衝突する経験も殆どなく、人種間の摩擦などもあまり経験してきていないってもの大きな原因なんだろうけど。

    前に、NHKで放送されたマイケル・サンデルの「白熱教室」みたいな公共哲学や政治哲学などの議論なんかは、これからの日本の民主主義を考える上で、とても参考になると思った。この講義は、いろんな人種・民族の人が公の正義について議論している番組なんだけど、あのようなやり取りができて議論ができるような文化をもった社会になればないいのになと思った。

    貴虎さんが掲げる「多文化共生」の、大いなる障壁だよね。これを乗り越えないとね!

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  2. 根回し、丸く収めるって構図は
    実はここの市議会の役員選挙、通称役選というやつも根回しと談合によって決まってる。
    事前に会派同士が話し合って
    うちはこの人を議長にしたい。
    ここの会派から出したから今度はここから。
    ってな事をあらかじめ決めておく。
    ということらしい。その中には会派同士の力のバランスや議員の数なんかが微妙に絡み合ってくる。らしい。
    というのも直接かかわったことがないだけに詳しくは分からん。
    一応法的に認められてる任期は4年なんだけど、会派間の申し合わせの元1年で交代することになっている。出来るだけたくさんの人が役に就ける様にということなんだと思う。

    で、議長の力量という問題が持ち上がってくる。
    議長ってのは議論を仲裁する行事のような立場。統率能力がいるんだけど、これまた個人差があって上手くやれる人とそうでない人がいる。

    その事に関してある議員は、談合を廃止して能力主義にして無能なやつには不信任を出して引きずり下ろせ!と主張してる人がいる。

    もっともな話なんだけど、それをやると会派間の対立が助長されて役選だけに時間を取られて本題がおろそかになるという人もいたりする。

    どっちが良いのかは実際経験してみんと分からんけどね。

    話はぶっ飛ぶけど相撲の八百長の話も色々ある。賭け事やってて八百長やってその見返りにヤクザから金もらってってのは言語道断。
    ところが慣習として角番の力士は勝ち越させてあげるという。そもそも誰と誰が何時やるかなんて話は密室で決められるわけだから勝てる相手を当ててやればいいだけの話。確立で行けば五分五分のはずなのに実質は8割近く勝ち越すんだとか。
    近代スポーツ的感覚で行けば明らかな八百長なんだろうけど、日本的には手心を加えるとう表現に表れるような一種の優しさの表れという言い方をする。それが仇になるかどうかは一概には言えないけどね。

    会合の話も役選の話も相撲の話も全て一律に”不正はアウト”と言えるような物でも無くって、プライオリタイズされた物の中で振り分けるしかないのかもともう。

    会合の場合は議案の中身に関してはそれほど重要でないために時間を優先しての事前準備とする。
    役選の場合も議長の力量の差は議会運営のスムーズさには影響はあるのかもしれないけど、本文は議会に提出される議案を討議することと考えればOKなのかも知れ無いともおもってる。むしろ議長職ってのは他の議員に比べて職務が増える分激務らしい。給与は若干増えるけど必ずしもみんながみんなやりたがる役職ではないようだ。

    相撲に関しては専門外だからわからん。


    ただこの根回しってやつは状況をある程度のレベルまで共有できる人間がそろってる場合に暗黙の了解の元機能する手法なんだろうと思う。その暗黙の了解が分からない人間がそこに介在すると問題が起こる。結果排他的になる側面があるように思う。社会が細分化されてきて立場や考えが多様化してきている今の社会にはだんだんそぐわなくなってきてるようにも思う。

    そしてこれに慣れすぎるとホントの意味の議論が本当に必要なときに出来なくなる。
    この慣習は議論がヘタだと言われる日本人、ここの根本原因なのかも知れない。こいつは大きな問題だと思う。

    そして筋が通った論議をいくらやっても、そうねそれは正論だよね。と言われて結局なんにも決まらなくなる。つまり根回ししてない物に関しては初めから考察のレベルに達していないという切られ方をする場合がある。これは日本において特に多くって今まで何度か頭を抱えたことがある悪癖。

    準備することなく即その場で自分の考えを明瞭に主張できない、って事に繋がってくるからね。

    これが議会でやられるとものすごくまずい。なにせ議員は議案を議論するために要るんだからね。これを出来レースでやったら存在意義を根底から覆されることになる。

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  3. yamanobolerさんのコメントにとても賛同しています。
    お二方が仰った様に私が感じますのも、

    (本文下から8段目)
    別段真剣に議論する必要のない事柄だから~
    (貴虎さんコメント下から11段目)
    ホントの意味の議論が本当に必要なときに~

    という部分についてとても難しいと感じました。
    この内容であれば全体の効率を考えて実質議論はなしでOK。
    この内容はじっくり議論すべき。
    ここのラインは誰が決めるのでしょう。また、明確にできるようなものではなく、ここがラインだろ!と感じる人間の多さで決まってくるものなのかもしれません。
    明確なことは申し上げられませんが、大切なのは、携わる議員・市民の方々はこの点についてぼんやりながらでもそのラインを模索しながら事を進めていくことではないかと思います。

    より良い暮らしにつながるという(表現は多々あるかと思いますが)大局での目標に向け、これからの活動もがんばってください。

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  4. 匿名さん
    コメントありがとうございます。

    ライン引き。確かに難しいです。主観に委ねられるところだし。状況によっても異なるし。

    ただ議会においてはこれは明らかだと思いますよ。ここは議論をする場ですから。そして大きな事業なんかは根回しが出来る人だけの思惑で事が進んで議会は儀式的にOKを出すだけ。これじゃ議会の存在する意味が消失しますから。

    大きな事業になればなるほど絵図面を書いた人間がいてフィクサーがいて根回しをして事を進めているみたいです。津市の議会において議案が否決されたことがないと言うのも悲しいかな事実のようです。

    つまり地方議会では頭を掴めばなんとでもなる。

    色々な派閥がある議会が一致団結して市長や執行部に反対することなんて明らかにまずい案件なんてそうそう無いわけですから。それこそ逆に根回しをして事前協議でもしてれば話は別ですがね。

    でも事が住民の多くが反対していると言うことになれば状況が変わってくる。だからどこかの市みたいに署名を集めて・・・みたいな事も実際は可能。
    それをするためには有権者の皆さんが市の執行部のやることにある程度の時間を割いて意識を馳せて欲しい。

    そんな意味で市政報告とかこういったブログで議論の現場にいる議員の話を聞いてアンテナを張ってもらうことも一つだし、逆に議員を引っ張り出して質問しても良いと思う。調べて来いよ!っていって。

    なんにしても市議会議員は市長&市の執行部でやってることに対して市民が意思を表明して意見を言うための架け橋、道具ですから。上手く使って欲しい。自分のエゴのために振り回されるのはごめんだけど、市全体の事を考えてのことなら積極的に交流を持ちたいと思ってるのが私のスタンスです。

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  5. これは、議員だけの問題ではないってのが問題の核心だと思う。政治って結局、我々が接する公的空間の問題をいかに対処して、どのように解決していくかってことなんだと思うし。

    我々、市民は自分の一票をある政治家に託すわけだけど、そこで終わってしまっては駄目なんだと思う。市民には投票する権利と同時に、投票した責任もあることを自覚しなければならないと思う。

    この責任ってのは、全てを議員にまかすのではなく市民側も議会でどのような議論がなされていて、どのような法律や条令が話し合われているのかってことに関心を持ち、議会の動きを監視しなければならないということ。

    そのためには、やはり、行政、立法、民間、それぞれの機関が閉じた関係ではなく、お互いに交流が行えるようなオープンな関係を築き、相互に支えながら議論をして問題を解決できる公共空間を創造していかなければならないと思う。

    貴虎さんが言うように「公」の事を考えて積極的に相互交流していくってのは、とても大事な姿勢だと思う。

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  6. そのために議会の可視化はとっても重要だと思うわけ。
    だからこそwebにアーカイブを上げたりustreamみないな媒体で中継しながら視聴者が公開画像を見て議論を出来るような関わり方ってのも魅力なわけ。

    もちろんtwitterでコメントが入ったものに対して議会が返答したりって事は朝生とは違うから無理だけどね。

    ごめん、ちょっと急に出なきゃならなくなったからまた後ほど。

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