陸前高田

正直どのようなことがここで起こったのか、全く想像がつかない。
ある程度情景が思い描ければ感情移入もし、苦しみ、葛藤し、涙もするだろう。
延々と更地のように全く何もない。
殆どの建物は土台を残して消失。
残った鉄筋もグニャグニャ。

ただただ呆然。
その後遠方に途方もないがれきの山を見るのだが、とにかく表現の使用のない感情。それしか言えない。

あとから臨時の市庁舎に行ったときに親族が貼った家族捜しの掲示。4才と5才の兄弟の写真があった。初めて実感の伴った心に苦しさを感じた。

遠方に市庁舎と学校が見えた。おそらくあそこにも避難した人がたくさんいただろう。
学校は何階建てだったろうか?最上階まで破壊された跡が見えた。

元どんなところだったか全く知らない。だから余計分からないのかも知れない。
おそらく商店街もあって、家屋もあって、パチンコ屋もあって、本屋もあって、コンビニもあって何もかも普通の街だったと思う。

その後山の方に向かって走っていったのだが、川に沿って延々と被害地が続く。大凡このあたりの人たちは津波被害なんて考えていなかったろうに、と思われる上の方まで壊れた家、がれきが続いた。

防災対策を検討せねばならない立場として、どうしても津市との比較をしてしまう。

外海に面したリアス式海岸。小規模の開いた湾が続くのにたいし、津市は比較的閉じた大きな湾。
湾外に震源地があった場合はおそらく知多半島は大きな被害を被るだろう。
その緩衝で津市には大きな津波は来ないかも知れない。

プレートが震源地でない場合。幾つかの活断層が震源だったとすれば湾内震源地もあり得るのだろうか?だとすると今回の被災地同様かなりの津波被害が出るだろう。
川を上って周辺地区も随分流されることだろう。
場合によっては海岸線から随分離れた所でも水に飲み込まれる可能性も有るかも知れない。ここ陸前高田のように。

いずれにせよ複数の震源地が考えられるわけだから、複数のシナリオを立てておかなければならないだろう。

 そしてシナリオに沿った異なる対応。専門家を交えた予測をしっかり立てないといけない。
無駄な混乱を避け、適切な初動対応を行うために。

コメント

  1. 出来るだけの対策を取るのは必要、なるべく早く。
    起こってしまった後に無駄な混乱を避け、適切な初動対応を行うのも大事。
    でも、天災は人知を簡単に超える。これだけはどうしょうもない。
    大難を小難にすることをできなかったのが、今回の災害のような気がするけど、現場を見てどうです?

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  2. 昨日早朝やっと帰ってきました。
    大船渡、陸前高田、唐桑半島、釜石、大槌、波板、船越、山田、宮古、気仙沼
    見てきました。

    小泉浜で一日だけですがボランティアに加わって、

    帰りに歌津、志津川、石巻、松島と見て回りました。

    小さな港に行けば行くほど手が回ってない。というのが見た目からの感覚です。一ヶ月がたった今でも道路だけはとにかく掃除はした物の、瓦礫なんかは手つかずのところが多々ありました。
    正直言って人海戦術で解決できる規模を超えています。行方不明者の探索もあって重機でゴミと一緒にかたづける訳にはいかないのかも知れません。でも明らかに業者の数が少ないように思います。誰がいくら払うのかというところでもめているのでしょうか。

    方々に津波警戒区域という標識が立っていました。見事に標識のあたりまで瓦礫が散見され、それ以上の地域にはいがいが見あたらないケース、標識よりずっと置くまで被害が見られたケース、それ以下だったケース様々でした。
    場所によってはその標識まで逃げてきていない様な状況も多々確認しました。県か国かが事前調査をしたんでしょう。それが地元の行政には避難訓練の際に考慮されていたのでしょうか?少なくとも地震後の避難勧告で、あるいは事前の訓練において地震発生時の避難行程が確立されていて、それが実践されていたなら、引き潮を見に行って津波にのまれるようなケースは防げたでしょう。標識まで逃げてきてたら助かったはずです。
    一方で大船渡で避難者の方から話を聞くことが出来ました。家族で地震の際の避難の打ち合わせを震災の一月ほど前にたまたま行っていた。だから地震発生直後に避難所に歩いて向かった。職場から必要な物を家にとって帰って車で避難所に向かい、高台から津波が来るのを眺めてた。という人もいました。津波の多いところだからと言うことで漁師の間では代々常識として地震=津波という意識が確立されていたようです。

    せっかくの防災計画も機能しなければ意味がありません。住民に浸透することも含めての計画のはず。
    少なくとも私の住む東丸之内の防災訓練では、主催者側の努力とは裏腹に参加者の緊張感も今一歩、若い年代の参加は非常に少なく課題が多いと感じています。

    原発の件についてはあえて触れません。方々から様々な人たちがつつき倒していますから。自衛隊の出動が遅かったこと、アメリカからの消火活動を断ったこと、輸送車の確保に手間取ったことなど、国のレベルでの問題は上げたらきりがありません。そしてその中に利害や政局の絡みが見え隠れすると、あきれて物が言えなくなります。それらのことは言ったところで愚痴にしかならない私の管轄外なのでここでは控えておきます。

    神戸と違って被災地が広範囲であるが故にそれぞれの自治体での対応の差が被災後の生存率の差に影響を与えたと思っています。

    天災の発生は防げませんが、その初動対応の俊敏さが大きくその後の生存率を変えると思います。自助で第一難を免れたあと、公助が到達するまでの共助の段階での生存率を高めるためには、事前の訓練や意識を高めることが重要です。これは自治体の仕事。そして十分な公助が到達するための事前準備も自治体レベルで出来ることがたくさんあります。

    そういった意味でもっと死者数は減らせたはず、という認識を持っています。

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  3. 天災が人知を簡単に超えて、人災が被害を拡げた・・・今も拡げているということですか?

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  4. 人災が被害を拡げた、と言ってしまうと若干語弊があります。拡げるつもりでいた人間は少なくとも地元にはいないはずですから。

    ただ、もう少し上手く準備をしておくことで生存者を増やせた余剰は多分に有ったと思います。

    現在も、という点ですが、地元の人達は必至に対応しています。役所の人達も昼夜問わず働いていました。義援金の支給などは決して容易な仕事ではなく、住民も感情的になる場面もあるでしょうし、何より本人達自身も被災者なわけですから。

    国の対応のことに関しては現場を見ただけでは言えることが限られてきます。先述の通り他にもっと詳しい方が居られると思います。

    もう一点。復興で気になる点は瓦礫処理、家屋建築で終わらず、地元の産業の復興も含まれます。そこには農業と水産業が大きく関わっています。海水が入った田で稲作は出来なくなります。水産業も船を出せばお金になる分けではありません。大きな設備が随分壊れました。今まで自然発生の延長で大きくなってきた各々の港。しかし一時期と違いどの産業も濡れ手に粟のような状態にはありません。一極集中して必要設備を再構築し、今までのように便利には行かないにしても出来るだけ多くの港の漁業従事者が、漁業に携わって生計を立てていけるすべを作らなければなりません。
    これを行うのは民間の企業ではなく行政です。3県にまたがっていることを考えると国も介入せざるを得ないでしょう。

    これらのこともいたずらに引き延ばせば災害後の被害をいたずらに長引かせることに繋がります。

    少々不公平が出たとしても大なたを振るって形を作ってやる事も政治家の仕事でしょう。

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