2011年3月30日水曜日

人の世の闇の深きこと・・・・・

他に理不尽さと怒りを覚えたことがあったのでそれを先に書こうと思ってたが、感情先行で内容を変更した。

水の買い占めや電池の買い占めはまだかわいい。

建築資材を買い占めてる人間が居るそうだ。
もちろん政府だって馬鹿じゃないから一定量確保はしてるはずだ。 
しかり足りなることも確実で、いずれ需要過多になる事が分かっており値が上がることが必至だからだ。
そして被災地の人たちはこれを払わない。
政府が払う。
政府は言い値で買ってくれるだろうからだ。
それを誰が払う?
今必至になって救援物資を送ったり出来る限りのことをして被災地の人たちを助けようとしている”ナイーブ”な人たちを尻目に、守銭奴がうごめく。
日本全体が一丸となって助け合おうぜ!って言ってる横で被災者をだしに使って利ざやを稼ごうとしている。


商売することは何も悪いことではない。
しかし”道徳無き商業”、形容詞がついた際に一変する。

世に矛盾がはびこることは知らないわけではない。怒りを覚えることは他にも多々ある。しかしやはりそれに直面したときに起こる感情は変わらない。そしてそれに慣れていまいたくないし、また諦めてしまいたくない。


しかし私はそれに対して今何も出来ない。
それが歯がゆい。

2011年3月27日日曜日

高洲での地域清掃&フットサル大会しゅーりょー!!!


清掃活動とフットサルを一緒にやる今回の初の試み。

結論から言うとこれは非常に良かった。

鈴鹿での別の試合が重なったと言うことで結局南米からの参加はボリビアチーム1チームだけだったが、ちゃんと来てくれた。

掃除もしてくれた。

自治会長も”南米の奴らは来たか?”と気にしてたが、ちゃんと来てくれた。

また企画してくれと言われた。

そして問題になってる彼らのこの公園の使用も少しずつ周辺住民との関係を築いていくことで解決できるだろうという合意に至った。

もちろん時間がかかる解決法だが、正攻法だ。

自治会長曰く、”自治会にも入って、盆踊りにも参加して、みんなととけ込めば、月一回ぐらいOKって事になるやろ。そんな話もみんなにしてくれ”と言ってくれた。

大きな成果だ。

ボリビア人達にも一月後落ち着いたら場所探しも手伝うと約束した。

こういった僅かな進展を、でも継続して繰り返していくことで着実に前に進んでいけると思う。

道ばたのゴミも、完全にとは行かないまでも随分かたづけた。

そしてフットサル大会。
普段から練習している日本チームとボリビアチームは
非常に良い試合を展開し、3-3でPK。

一本を許した日本に対し完全セーブをしたボリビアチームが勝利を収めた。

ボリビアチームもまたやりたいと言ってくれた。

今度はみんなの都合がつく時に4チームぐらいでまた企画したい。

最後に、天候にも恵まれたことに感謝。昨日はみぞれが時々舞う妙な天気だった。今日は風が強く多少寒かったが、よくはれてくれた。

参加者およびサポーターのみんなに感謝。



















2011年3月23日水曜日

出馬表明致しました。

昨日、津市役所三階において記者会見を行い、出馬表明致しました。
伊勢新聞に掲載されたものをアップしました。
(3月23日のバックナンバーご確認ください。公選法の関係で削除いたしました。)




このブログは過去1年近く私が行ってきた多文化共生プロジェクトにまつわる事柄を告知するために作成しました。

外国人との共生を推進して活動する中、自治会長を初め様々な人達と知り合うことを通して直接多文化共生とは関連性の無い分野においてでも、今津の人達が抱えている問題をフィールドワークを通して知ることとなりました。
 それら諸々の事を含めて、今自分が出来ること、という事を基軸に考え行動に起こした結果、今回の市議選出馬を決意するに至った次第です。

もちろんこの活動のさらなる拡大拡充も考えています。
今までお世話になってきた国際交流室の皆さんとも、もっと密に関係を作りプロジェクトを推進していきたいと思っています。



記者会見の際にお話差し上げる為に準備した原文をそのままアップ致します。

以下


本日は突然の呼びかけにもかかわらず私の出馬意志表明の場に参席くださり真にありがとうございます。

私は日本の未来を、津の未来を憂うが故にこのたび市議会議委補欠選挙に出馬する意志を固めました。

どげんかせんといかん
と言って
どげんもせんと
やめて行った方が他県におられましたが、私は今のこの日本が抱える、政治、経済、教育、防災等の危機を解決するために、一番市民の皆さんと近いところで働ける市議会の立場から地をはって仕事をしていきたいと意を決した次第です。


未曾有の課題が山積しているにもかかわらず、国政は空転し、政治への信頼は失墜しています。そんな中、隣の県では減税を叫ぶ首長が勝利を収めました。仕事をしない議員の給料を下げると訴えました。
これは過去にバブルが崩壊した際に起こったリストラと考えが似ていると思います。
リストラは企業の体力をそいでしまいました。
今税収が減り行政が思うようにいかない中、最も必要とされているのは議員の給与を削減することよりも、むしろ給与以上に仕事をする議員です。過去、名誉職のように考えられていた市議職ですが、定年後の二次就職のような形で立候補されるような方達は今の津市には必要ありません。

支援者の中の複数の方から、なぎさまちの船着き場で複数の言語での観光案内を表示することすら市役所は何年たっても出来ない。という不満を伺いました。たったそれだけのことがなぜ出来ないのか。
職員が仕事しないっていう批判もあるかも知れません。しかしそれよりも大きな原因は事実上ゴネ屋の親玉みたいな市議が存在する事です。
議員が職員をなじり、やりたくない仕事を力で無理強いして仕事をさせるようなやり方で自分は身体を使わず事をなそうとしてきました。パワハラが横行してきたのが議員と市職員の間柄です。旧態依然としたやり方では力となってくれる協力者であるはずの職員の心はつかめません。ビジョンを持った議員自身が現場に行き状況を確かめ課題実現のために可能性を見出す。職員のもっている資料を使って実行可能なプランを構築していく。二人三脚で無ければやる気も起こらないでしょ。また市で出来ない案件をただ出来ないと突き返すのではなく対案を考える。それぐらいの機動力が無ければ解決すべき課題は経るどころか後から後から出てくることでしょう。
仕事を押しつける議員でなく仕事を牽引していける議員が必要だと思います。

今回の震災に関しても同じです。
昨年度から自治会の作る地域防災会に参加し、避難訓練にも参加しました。自治会長の腐心にもかかわらず現状は実際の震災に対応するためにはまだまだまだ解決されるべき問題がたくさんあります。
避難所の問題、
要介護者救済の問題、
地域在住の外国時の問題、
避難後の介護の問題等。
自治会長だけの努力で解決できる問題を超えています。そんな最中起こったのが今回の震災。今のままでは地域住民の不安は募っても対応策は全く出てこないでしょう。
地域ごと異なった状況をふまえて、民間の施設とのタイアップも念頭に入れた、緊急時に即時対応可能な有効なプランを一つづつ構築していく必要があります。
これらのフィールドワークはこれまでの私のNGO活動で培った経験がフルに生かされる現場だと考えています。

また私は2児の父として安心して子育てが出来る環境作りに投入していく事と同時に、単に安心できるだけでなく今後世界の舞台で活躍できる国際的視野を持った次世代を育成する環境作りに全力投入するつもりです。
私は家内の国モルドバにはもちろん、クロアチア、イスラエル、パレスチナ、フィリピン、インドネシア、ネパール、ロシアもちろん私の滞在していたアメリカに多くの友人が居ます。津市にも姉妹提携都市が中国とブラジルにありますが、市長が数年に一回公式行事で挨拶をするだけの関係ではなく、実質的に人が行き交いそこで学び成長していけるような環境づくりのためにこれらのリソースをフルに活用すべきだと思っています。そういった友好関係や協働活動を通して初めて国際的舞台で活躍できる感性が身につくことを実体験から知っています。世界を股にかけ日本を代表する国際的リーダーを津市から生み出すために私の持つ友好関係も使って新たな事業と展開したいと思っています。



昼夜を分かつことなく、庁舎内外を問わず奔走できる若い議員が今必要です。36議席のうち30代はたった一人、半数の18人は60代です。今津市に必要なのは庁舎の中での当たり前の仕事だけでなく、庁舎から出た外で課せられた職務以上の業務をこなすエネルギーを持った若い議員です。
私は津市の市議会の中で最も地域活動に率先した身体を動かす議員になります。
政治改革は議員自身のの精神・思考改革からだと思っています。
やつに任せて良かった、と思っていただける信頼される議員になります。
築城の名手の高虎公の英知に学び、確実に結果を築き上げる議員になります。

2011年3月15日火曜日

東日本大震災とモルドバ2 日本人

モルドバからの問い合わせが後を絶たない。
モルドバのメディアは私の家内を初め日本にいるモルドバ人を捕まえてはインタビューをしている。家内はfacebook経由で一人、あとCIS圏でよく使われている別のSNS経由で従兄弟から連絡が入り、こっちは結果skypeインタビューを受け夕方のニュースに流れたんだとか。

つまり大使館がない国なので情報が入ってこないらしい。ほとんどのモルドバ人は関東圏に住んでるようなので、おそらく地震の大きさと、地震を余り経験したことのない国民であるが故にその恐怖へのおののきと、中には原発爆発の情報から今すぐにでもチェルノブイリのような事態が起こるのでは?という噂を是正されることなく信じて今すぐにでも国に帰る!と騒いでいるモルドバ人の姿もどうやら向こうのメディアには映像として流れているらしい。

こういった大きな災害が起こったときに我々流れてくる情報源を母国語として理解できる人間ですら混乱するしデマに惑わされる可能性が高いのに、情報が翻訳され遅延され伝わる人たちの間において誤報による混乱を押さえる力がずっと限定されることはそれほど想像することは難しくないだろう。

現実地元にあるブラジル人と他スペイン語系南米人を対象にしたwebメディアの社長は昨日も情報公開に翻弄していた。中には昨日の12時の時点で別の地震が東海地方に起こるらしいけど本当か?という問い合わせが日曜日にあったそうだ。
予言者でも居たのだろうか?でも実際そんなレベルだそうだ。
もちろん当人は真剣だろう。
そしてそれが複数の人間の確信に変われば、それが誤報であろうが無かろうがいったん動き出したものを止めるのは容易ではない。
日本はすでに単一言語によって構成された社会でないにもかかわらず、この辺に関する対応の未熟さもまだまだこれから是正されなければならないようだ。もちろん県の方からは適切な情報が文書として彼の所に降りてきて、彼がこれを翻訳しwebには上げているものの、現場の横横の情報伝達のスピードに比べて遙かに遅く、ラジオ放送などもあるらしいがいずれにせよ遅い、というのが彼の見解だ。しかも使用人口の少ない言語になればなるほどその遅れは如実に表れるらしい。

そしてモルドバ人にとって理解できないのは、なんでとっとと日本から逃げないんだ?という事らしい。もちろん在日モルドバ人の中には早くもチケットを確保して帰郷の準備をしているものもいるようだ。日本人はよっぽどこの土地に執着があるのか。と感じるようだ。
言語の壁も含めて他何処に行くんだ?と考える人が多いのも事実だろう。
日本のように安楽に居住できる場所は他に無い。と感じる日本人が多いことも事実だろう。
様々な要素があってどういう訳だか我々日本人はこのような状況にあっても、身の回りのものをまとめてとっとと逃げる。という判断をしないようだ。
私自身も、まあ今回の地震で大きな揺れを感じることの無かった土地にいるからかも知れないが、地震は日本に限らず何処にでも起きるし、何処に行ったって100%安全な所なんか無いからね〜というような返答を家内にした。

日本人はとんでもなく我慢強いと写るらしい。

後私が思ったのは”卑怯”という感覚だろうか。今でも突如の被害で苦しんで悲しみの縁に居る人たちが多くいるのに、単に被害に遭わなかったと言うだけでなく、こっちにも被害が及ぶ可能性があるからその辺の人たちは放っておいて自分だけ逃げる。という考え方を卑怯だと考える自分が居る。

あと面白いと思った分析は村八分という日本の感覚が根底にあるのだという。
その方曰く、村八分が十分、つまり100%で無いこと、残り2分が残っていることの意味あいは非常に大きいのだという。 そしてどれだけ村八分にあったとして社会から抹殺されていようとも葬式の時と火事の時は村のみんなが助けてくれる、というのが日本の考え方らしい。どんな悪いやつでも死ねば仏になる。だから完全に殺すことはしない。哀れみを残すんだそうだ。そしてその中には火事のような災害にあったときには悪人であろうがなんだろうが取りあえず助ける。
言い換えれば悪人でなければ被災者に対して最大限の努力をして救援することは当たり前のことだ、という考えにいたる、らしい。

政治腐敗や経済の困窮から労働人口の半数近くが国外に流出しているモルドバ。国の半分を麻痺させるような巨大な地震を経験しても国を出ようとしない日本人。またもや興味深い対比をすることが出来た。

ちなみにモルドバ人の名誉のために言っておくが、決してモルドバ人が薄情だと言っているわけではない。場合によってはモルドバ人から見ると日本人の方が人と人との情の関係が希薄で親子の関係もバラバラだと感じることが多々あるらしい。
 ただ独立国家として自国を持った時代が20年前の独立以前は遠い中世にまでさかのぼらなければならない歴史や地続きの移動を繰り返してきたヨーロッパ人の背景も加味されてのことなのか、とにかく国や土地に対する執着は我々日本人にとって圧倒的に少ないことは事実のようだ。

2011年3月11日金曜日

東北太平洋沖地震・家内の国モルドバでもニュースに

skype経由で家内の国から友達や義理の姉、義母、仲人等から連絡が入りました。

お前大丈夫か?!

って。

遠い国モルドバでも随分大きなニュースになっているようです。
義母は日本で地震!って聞いただけで肝を潰したようで。娘と孫達は(つまり私の家内と娘達は)もう海の中に沈んで居なくなっちゃったんじゃないのかとマジで心配してたようです。

幸いここは震源地から随分離れたところですし、湾内に位置してるので津波の影響も少なく、実際発生当時私は車に乗って他ので揺れも感じませんでした。
地元自治会の避難場所にも向かいましたが、自治会長達が数名。最寄りの保育園の児童達も津波警報の関係で避難していたみたいですが、程なく帰ったようです。

津市敬和地区は海岸に近いですから、仮に東南海地震関連で同じように海底で地震が起これば、津波に対する警戒も必要だとテレビで今回の津波被害の映像を見て思いました。

ちょっと前チリがあって先日はNZ。で今回のも。随分と続きます。
大規模地震って増えてるんですか?それとも昔は知らなかっただけで頻度は同じ?誰か調べてる人はいませんかね。
そして国政も、都知事選も、ここ三重の知事選、はたまた津の市長選も市議補選もまた激震と混乱と混沌と・・・

地震と政局はもちろん何の因果関係もありませんが、何ともまあ続くときは続くんでしょうか。

ともあれ被災された方の一刻も早い復旧と、亡くなられた方々の冥福をお祈りいたします。

2011年3月10日木曜日

テンパってるからこそ、余計ヒトの心を感じるんだろうか。

朝起きてから寝るまで忙しい。やらなきゃならない事は山ほどあっても体は一つ。
時は無情にも矢のように過ぎて行き、どれだけ詰めて動いてもまだやり足りない。
ここ数週間そんな日の連続。
そして4月が終わるまでもっと加速してくだろう。

そんな時に頭からスッカリ抜けていたやんなきゃいけなかった仕事の一つを連れの一人が"察してくれて"準備してくれた。一言もいってないし頼んでいないにもかかわらず。webで調べて"これ要るんちゃうの?"って。
すごく嬉しい気持ちになった。

今までどういう訳かスタンドプレーが多かった。いつも一人でいろいろこなしてきた。器用貧乏とでもいうのか、それで結構今までやって来れた。
でも今回はそうはいかない。実際ハナからツレに泣きついた。

そうか、時には素直に人に助けてもらうという事も大事なんだな。

アメリカにいた時も帰って来てからも。もちろん家内は支えてはくれたが、基本芸術家は私の住む実務の世界とは異次元位住んでいる。家内は心は癒してくれても私と一緒に仕事が出来るタイプではない。
だからずっと、そうここ軽く10年ぐらいは一人で駆けずり回ってた感がある。

でも最近、特に2/20以降はいろいろなヒトに泣きついて助けてもらってして来ている。そして今チームが形成され始めている。

なんかすごく嬉しい。

この山必ず登りきらねば。

連れっちゅーのはありがたい。

昨日も遅くまで8人ぐらい集まってビデオ撮りながら色々話をした。
今後のことについて、
色々思うところについて。
単に高校のあるいは小中の連れってだけで、マジでもう何年も会ってなかったような連れが、”おお、そうか。何でもゆーてくれ”っていって来てくれる。
俺そんな今でこそまともな面下げて何かそれらしいこと言うてる風やけど、決して真面目でもなかったし、優等生でもなかったし、むしろ逆な方が多かったし。
大人の関係みたいに何か特別世話したとか世話されたとかって、そんな学生の時には当然ないし。
でも連れってだけで時間裂いてきてくれる。
お前こうした方がええぞ、それまずいで。とかぼんぼん気軽に出てくるし。
まじ、ありがたい。

やるからには結果出さんと。
それが今最大限ありがとうって善意に答えられる最善の方法。