2010年11月26日金曜日

うちのモルドバ嫁・良くやってくれてます

中国嫁ブログのように絵心の一つもあればいいんだけど、残念ながら他力本願な人にとってもらった画像だけすこしアップ。

先の11/14、津市国際交流デーの追加アップです。

Portal Mieにとってもらった写真は流石プロ。よくとれてます。FaceBookにアップするやいなや家内のモルドバ人友人から絶賛が。
よくぞモルドバを代表してくれた、というような勢い。ヨーロッパの弱小国。
”え?ダイビングとかできるとこ?”モルジブじゃありません。ってなやりとりを私も何度したことか。そんな知名度の低い国ですから、自国の国旗がひらめいて、見慣れた民族衣装が出てくれば、やはりうれしいんでしょうね。

群馬に住んでるCumatra(上の娘の洗礼に立ち会ってくれた人をこう呼ぶ。固有名ではない)が、来年は私も行く!と早くも参加宣言をしてくれた。
来年は料理を作ろうという話もあって、ま、うまく調整できればと思う。

他母の友人に取っていただいた写真もいくつかアップします。

2010年11月25日木曜日

中国嫁日記・いいね

twitterに流れてくるニュースの中にあった。

最近中国って聞けば尖閣の話しか出てこないわけだけど、
そもそも外交問題、国家間問題と
人と人の間の関係ってのは別物で、

どこだったかでも外交的発言を感情論であーだこーだ言うのは筋違いという様な主張を聞き、この辺は同意するところ。

国家は個人の集約であり、いろいろな意味で総合的に構成員の状況を反映する部分は確かにあるのだが、
政府に対する印象をそのまま目の前にいる個人に当てはめるのは、ましてやそれを理由に攻撃するのは筋違い。

この間の事件の時にも道ばたで"中国人を見かけたら袋だたきにしろ!"書き込みがあったのを見かけたけど、未成熟きわまりない。

政府間のやりとりとして現政権だろうが現野党だろうが、日本特有の根回しだとか準備だとかモタモタしてないで、自己主張をしっかり明確にしていただきたい物で、ましてや政府が領土を守れなけりゃ一体誰がやるんだと思うわけだが、

一方で民間レベルでは今まで以上に様々な交流や相互理解を促進する行動をどんどん推し進めていくべきで、政府はそれを直接的に支援していくべきだと思うわけ。

ま、そんなで、生の中国人女性と日々多文化共生を営んでる方が、また画才という表現の武器を巧みに駆使してその生活を公に表していることは非常にすばらしく感じた次第。

また、家内との喧嘩や仲直りやそんな自分の家庭の中の多文化共生も思い返しながらほほえましく目を通したしだい。

中国人の友人はそれほど多くないのだけれど、ロシア人の友人はたくさん居る。特に仲のいいやつも一人。体のでかいわりに気が利いて、しかしながら細かいところはいい加減だったり。なかなか良いやつ。ソヴィエトが北方領土を占領したときはなんのことはない家内の国はまだソヴィエトの一部だった。彼らは政府が主張する通り戦勝国として獲得した土地だと教えられてる。日本の見解を伝えられるのは私だけ。しかしそんな事を話題に出したところで我々の間に存在する友情や愛情が脅かされるようなことはない。

関係を作り上げることと自己の見解を主張することとは別のこと。
むしろ良い関係を築き上げてこそ、信頼関係を築き上げてこそ初めて、お互いの間にある問題に関して建設的に適切に対処できる土台が生まれるのだと思う。

こんな時だからこそむしろ、積極的に国内にいる中国人、ロシア人、そしてもう一つの近隣国韓国朝鮮系の人達と心の通った関係を築いていきたい物だ。

中国国内でデモやってるとかどうかなんて全く関係ない。そんな報道に左右されることなくそれこそ日本の"和"の文化を誇る事のできる行動を成熟した日本の方々には期待したい物だ。
http://trackback.blogsys.jp/livedoor/keumaya-china/51165233
http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/

2010年11月22日月曜日

12月19日・アスト津・第二回国際交流フェスティバル「ちがいを知り、楽しもう!」

先日11/14日の2010津市国際交流デーの際にお話をいただいて

第二回国際交流フェスティバル「ちがいを知り、楽しもう!」
に参加させてもらうことになりました。また家内がモルドバの民族衣装を着て絵を描くことになると思います。少し寒いかもしれませんが、ま、室内なので。

なんにせよこんな形で話が広がっていくのはうれしい話です。

イベント詳細は以下リンクより
http://www.mienpo.net/center/cgi-bin/adm-bin/event/imgbbs.cgi?no=101

2月5日にもまた別のイベントがあるみたいで、これもお声をかけていただいて参加することになったんですが、こちらも詳細わかり次第アップ致します。

2010年11月15日月曜日

2010 津市国際交流デー 終了

 以外と暖かくなった。
曇りだって言う予報だったからスープ物とか食品ブースの人には出してほしいな〜とか思ってたら、なんのことはない、暖かい暖かい。
着物のつ音頭保存会の方々もたぶん寒がることなく踊られたのかと思うし、結構みんな一緒に踊ってた。ブラジル系の子供達や友人のフィリピン人がなかなか楽しそうに踊ってたのは良かった。
上の写真は私のお気に入り。隣のブースの友人のところにサポートで大阪から来てくれたケニヤ人。気持ちよさそうに叩いてた。若干周りから音の苦情がなくもなかったんだけど。
日本人でエジプト製の太鼓を持ってる人も参加したりとかで、なかなか楽しいセッションが。私も最後に加わって、楽しかった〜。久しぶりに叩いた。太鼓は良い。

最初のうちは結構余裕があってふらふらしてたんだけど、家内が”手伝って!”ってな事になって結局自分のブースの写真すら撮るのを忘れてしまった・・・ま、次回にとっておきましょう。
でもPortal Mieの取材陣がきてて写真を随分上げてくれてあるのでリンクを張っておきます。雰囲気がもっと伝わるでしょう。

Portal Mie 写真ギャラリーはここから
 
下の方にカメラマン別にページが分けてあるので結構な数の写真が上がってます。

という事で写真は人任せ状態です。

反省会はまたやるんだろうけど、まとりあえず無事に終わって、私としては初参加で、結構楽しかった。収益もほどほどあって付き合いで買いまくった食事をさっ引いてもま、トントンぐらいで収まったし。
年を重ねるごとに、特に国際交流に意識のなかった人達も加わって輪が広がっていったら楽しいなと思った次第です。

2010年11月11日木曜日

ZTV、国際交流デー告知ビデオ撮り

結局録画上手くできなかったという返答が今朝あって、写真でお茶を濁すことにしました。

すみません・・・・

イベントが終わってからなら手にはいるかもってなこと何で期待しないで待って様と思います。

今年は結局たった4人しか集まらなかったので、来年は道に迷って遅れてくる人もないようにして、もう少し賑やかに出来たらと思ってます。

あと、この時間枠の番組は収益目的のイベントでなければ誰でも参加できるそうなので、次回3月の掃除には利用してみようと思ってます。

2010年11月10日水曜日

2010津市国際交流デー・テレビ告知

今日1時からきたる14日の”2010津市国際交流デー”告知のため津ケーブルテレビZTVの本社に向かいました。
到着直後突然原稿を渡され、後半部分の読み上げを依頼されました。若干焦りましたが、ま、それほど長いものではなかったのでお受けすることに。

私の友人がもう2人くるはずだったのが、1時間以上遅れて迷ったあげくに結局到着せず、結果4人で収録することに。

本日6時を皮切りに金曜日4時15分まで結構な頻度で放映されるようです。

ケーブルテレビの視聴者ではないので私はみれないんですが、アナログ10ch、デジタル121chだそうです。

明日朝コピーをいただくのでyoutubeに上げて後ほどアップします。

2010年11月2日火曜日

似て非なるもの・愛国主義と国粋主義

今 年の夏イスラエルから来た女性の通訳をした。彼女は自らを愛国主義者だと言った。彼女は彼女の国を誇りに思い彼女の国の建国は歴史の中の奇跡だと言った。 そして母国を守るために彼女はパレスチナとの共生を訴えた。彼女自身は司法分野の経歴を持ち、退職した現在パレスチナ人の権利を保護するため法的手段に訴 える活動を支援しているらしい。


彼女曰く一般的イスラエルの国民はメディアなどによって扇動されている事も含めて恐怖と不安にさいなまれており、それが故に極端な排他的姿勢をとっているという。結果敵を駆逐する事のみが彼らの平穏を約束する物だと考えているらしい。最終的にイスラエルの国を崩壊させる事が非ユダヤ人らの最終的目的で、皆信頼できないと盲信しているらしい。


一方で彼女はユダヤの伝統と文化を愛しそれを誇りに思うが故に自らの国もその誇るべき文化を具現した国家足るべきだと考えている。よってユダヤの文化、ユダヤ教の教える平和、正 義、自由を実践すべきで、それはユダヤ人だけに対してでなくパレスチナ人に対しても保障されるべき事だと考えている。それがユダヤの予言者達が唱えた理想国家であり、その実現こそがイスラエルの国益なのだと言う。


イスラエル建国の道義的是非や他諸問題は趣旨がそれるためにあえて話を向けるつもりはないが、タイトルを言い当ててる良い凡例だと思って引き合いに出した。


自国=自分の帰属する場所を誇りに思いたいという感情は凄く当たり前の感覚だと思う。

たとえば郷土愛というのは良く耳にする。”うちの県には松阪牛があって鳥羽の真珠があって鈴鹿にはサーキットがあって”とか。これは当然他県の人間と接した時に、おまえの生まれたところには何があるんだ?ってな会話が発生するわけで、方言を笑われれば腹も立つしいくつも名所があれば、あるいは名士がいればそれを誇りたくもなる。

日本人が一般的に自国への帰属意識が低いと言われるのは単に自国以外の人間との接触経験率が低い事に由来してるのかもな、と思うわけだ。もちろん先述のイスラエルやアメリカのように何らかの特定の目的と意志があって力尽くで建国した過去がある場合や、占領国から独立を勝ち取ったようなケースと違い、近代の国家という概念が後からついてきたような日本の様なケースはまた別の要因もあるわけだが。


愛国心ってのは自己愛に近い部分があると思う。現実問題自分がマイノリティになった場合には自己防衛反応の側面も出てくる。自尊心の保護って方が適切だとも思う。単純なところ別のところにも少し書いたが、アメリカ人から”日本に落とした原爆は独裁者を駆逐するための善行だった”と言われれば、彼らの”歴史認識の不備”を追求せざるを得なくなる。世の中スーパーマン VS 悪の秘密結社みたいなコミック誌の世界のように単純ではない。にもかかわらずそんな図式を信じてる人間はあそこの国には掃いて捨てるほど実在する。

だから歴史は知っておかなきゃならない。色々トラブルになるからとか試験に出しにくいからなんて理由で近代史を教えなかった、(今も同じなんだろうが)社会科の教師の罪は大きい。こういった問題に正解も誤りも必要ない。むしろ学生同士が調査をした上で議論を戦わせる場を持つべきで、教師がすべきことは回答をすり込む事じゃなく生徒の論述能力と調査技能の向上を指導すべき。少なくとも私は中学校の社会科で習った近代史は”日本帝国軍事政権の台頭と植民地政策”および"原爆の被害と敗戦"、後はすっ飛ばされたような気がする。そのくせデモの正当性と労働闘争に関しては良く教えられた。自己の正当化ではなく事象は適切に分析し、その上で正確な判断を下すべきだ。適切な理解なくして、歴史方正しく学ぶことはできず、過ちもただすこともできない。


話がそれた。
愛国心というのは気づこうが気づくまいがうちに必ず存在するもので、あって当たり前だとおもう。ところがこの自己愛というやつは一歩間違うと利己愛に変身する。

口論する事と論議を戦わせる事もまた、似て非なり。そこはそもそも目的がよくわかっていないから起こる。論議を戦わせる場合には双方に建設的目標がある事をお互いに自覚し、その上で目的を到達するために双方が約束事を守らなきゃならない。双方の知識を高める事も目的になるだろうし、あるいは具体的な政策、方針を確立する為に意見を戦わせる事も目的になるだろう。いずれにせよ議論する理由が相互利益の目的の為であるという事を双方が理解している必要がある。そしてその共通目標に到達することを阻害する行動は双方が自主的に敬遠しなければならない。これは当事者の成熟度にゆだねられている。
一方で非建設的な口論は容易に中傷にその質を落とす。目的が利己的であり、すなわち相手をおとしめて自らが論勝することで優越感や結果の独占自己の正当化などの排他的利益を求めているところにある。

愛国主義は他国の愛国者と対峙したときに相互尊厳の元建設的な関係を築けなければ、とどのつまり国粋主義崩れでしかない。えせ愛国主義者と言うべきか。自らが自らを大切に思うように相手も相手自身を大切に思うわけで、これを阻害してまでも自己利益を追求しようとすれば当然関係は崩れる。他との共生がはかれない場合、長期的な視点において最終的に利己的行動は自己の不利益にすらなる。ただ国家間関係の場合そのスパンが一個人の人生よりも圧倒的に長いために被る可能性のある自己の不利益に対する試算が余りにも低いのではないかと思う。好もうと好まざると世界は小さくなり、経済、安全保障、環境、感染症等の病気など近代の人類が直面するどの分野の問題ですら一国国内だけで収集できる問題は限られている。すなわちいやがおう無しに我々は共通目標の下折衝し共動せざるを得ないところに押しやられている。

共生する方法を学ばなければ、我々の行き着くところは共倒れしか残っていない。残念なことに共生を実現するためには共生していく必要のあるすべての構成員が抜け駆けすることなく共通目標を第一義とする決まり事を守らなければならない。その信頼関係が構築されない限り入り口にすら達していない。
MDGだけにかかわらず我々の直面する問題は、それほど我々に時間的猶予を与えてくれていない。
我々人類が愚か者として滅ぶか、智者として学び共に生きるかは我々にゆだねられている問題だと思う。

日本に限らず誇るべき英知の蓄積、高い文化を持った国は至る所に存在する。むしろそういった文化を持っていない国の方が少ないはず。各々の国がそれぞれの文化に根ざした成熟した非排他的愛国主義を確立し共生を模索することが唯一我々が生き残るすべだと思う。なぜならどの文化においても必ず善の基準があり善行のモデルが歴史に存在し、子供を正しく育てようと望む親がいるはずだからだ。